失恋が好きです。
自分の人生の話じゃないです。自分の失恋はもう十分です。
そうじゃなくて、漫画だったりアニメだったりラノベだったりの話です。
ドラマは分かりません。映画も最近観れてません。一般小説も読んでなくて分からないです。オタク的なコンテンツに限定した話をさせてもらいます。
悲しいよ、私は
いやね、最近ヒロインレースがかなり減ってしまった。
私の知っているラブコメというものは、例えば主人公が男性であるならば幼馴染がいて、可愛らしい妹なり親戚の女の子がいて、男友達のような距離感だけどひっそりと主人公に好意を抱いているクラスメイトもいて、ムッツリな風紀委員長や生徒会長がいて、転校してくる曰くつきの美少女がいる。
主人公が女性であれば、例えば腹立つイケメンがいたり、一途で良いやつなガタイの良い男友達がいたり、物静かで読書好きのインドアだけど肌白くて細身で眼鏡かけてるインテリがいたりした。
そこには確かなヒロインレースがあった。
恋の相手が誰になるのか、分からなかった。
でも今は?
最初からヒロインが固定されている作品が本当に増えた。転校生だけ髪の色が明るくて、他のキャラはみんな黒か茶みたいな色だったり。さらにはもう早々と作品の途中で付き合い始めて、そこから当て馬のような対抗が出るけど、所詮は当て馬だから引き立て役にしかならないみたいな。
挙げ句の果てにはもうタイトルの時点でヒロインが固定されている。具体名を出してしまうと「アーリャさん」とか「かぐや様」とか。今期放送アニメでも「黒岩メダカに〜」とか「クラスの大嫌いな女子と結婚〜」とか。
いやいやいやいや、待ってくださいよ。
カップル眺めて、楽しいか?
「楽しいか?」って見出しに書いちゃったけど、別に楽しいとは思いますよ。楽しいというか、微笑ましい。それは分かる。家族とか夫婦とかカップルとか、そういう微笑ましいのは大好きですよ。昔「甘々と稲妻」というAAAみたいなタイトルのアニメがありましてね(確か漫画原作)、あれは素晴らしい作品でしたよ。
でもね、方向性が違うと思う。それはそういう作品として楽しむものじゃないですか。そして、そういう作品がもう完全に主流になってしまって、そういう方向性の楽しみ方を推奨する作品が溢れかえってしまった。これは由々しき事態だろうと言いたいわけです。
男女が(以下、男男でも女女でも)交際してもね、確かにそこはゴールではない。交際を隠していたなら周りに隠したりだとか、相手の気持ちが離れてないか不安になったりだとか、初めての記念日だとか、果てにはプロポーズだとか、そういうイベントがありますよね。私みたいな素人でも展開が考えられるくらいには。
でも、そこにあるものってホカホカじゃないですか。オノマトペにするならですよ。温かいものであって、ドキドキではなくないですか? そこにトキメキって、ありますか?
あるよって方はさようなら。ここからは無いことを前提に話を進めます。
私はね、サプライズが欲しいんですよ。
例えば少年漫画って基本的には主人公が勝つようにできてる。ルフィは海賊王になるだろうし、ナルトは火影になったし、宇宙がフリーザに支配されちゃいましたで終了することは極めて稀。
でもルフィはクロコダイルにも黄猿にも負けたじゃないですか。ナルトはサスケの闇堕ちを止められなかったし、悟空は何回も負けて死んだ。常に主人公が勝つとドキドキしないんですよ。プリキュアですら負けるときは負けるんです。ウルトラマンなんか何回もウルトラ兄弟まとめて負けてます。
ピンチになったとき、勝てるか分からない。だから頑張れーって熱が入る。その緊張感のためには敗北というサプライズが必要になる。
熱い勝利のための敗北。コレですよ。最近のラブコメに不足しているものは。
最初から明らかに両想い(ないし脈あり)な2人がひたすらイチャイチャする物語には、敗北がない。サプライズがない。だからドキドキできないんです。
令和のオタク、弱すぎ
とかく最近のオタク向けコンテンツは刺激に敏感すぎる。過敏も過敏、過敏すぎてカビカビ。
でも供給側は常に需要を意識しているわけだから、問題は消費者、すなわちオタクにあるわけです。
令和のオタク、弱すぎなんですよ。
コンテンツが慢性的に供給過多であるがゆえに大量消費が極まってきてる。読みきれないほどラノベもアニメも沢山あるから、少しでも気に入らないものがあると即切り。なんなら見る前から切り。
だからアニメ化が発表されたらまず声優を発表するし、ラノベのタイトルはどんどん長くなってる。あらすじすら読まれないからタイトルで説明しないと「どういう作品か分からないけど手に取るほど興味もない」でスルーされて終了。
そして、いわゆるタイパ重視。このタイパとかいうのも字面の時点でアホみたいな私立文系横文字言葉ですけど、でも供給過多の現代オタクはみんなこれになりつつあって、とにかく「つまらない作品に時間を費やすのは人生の無駄」と思ってるんですよ。
だから気に入らない部分がある作品は読みたくない。人によっては男が出てくるだけで切りの対象になる。「なんとなく『なろう』っぽい」だけで馬鹿にしたりするし、基本的に減点形式で採点して作品を評価するんです。
負けヒロインが減ったのは、この延長線上にあると思っています。好きなキャラが報われなくて、必然的に出番も減る。それはつまり待遇が劣後することを意味しますよね。その可能性があることがもう既に減点対象で、だから最初から勝ち確定してるヒロインを応援したい。
例えば上で挙げている「アーリャさん」って、実際にはアーリャさん以外にもヒロイン的な美少女は登場しているわけですけど、作品としてバンと出てくるのは「アーリャさん」(一部略)というタイトルと、明らかにロシア語を喋りそうなアーリャさんと思しき美少女です。
つまりアーリャさんをお気に召したオタクは手に取るし、そのオタクはアーリャさんと主人公がイチャイチャするから高確率で満足します。黒髪好きや金髪好き、ギャル好きの人はその隣に置いてある別作品を手に取る。そうやって棲み分けていく。
「銀髪ポンコツ美少女好き向け」であることを堂々と全面に出していくんですよね。でも「俺ガイル」とか「ToLOVEる」とかって違うじゃないですか。「この美」とかは同じ一本道の作品ではあっても互いの名前は分からないし、一本道であるかどうかは表紙からじゃ分からない。
一本道、それは別ジャンル
一本道ラブコメの流れって私は「からかい上手の高木さん」あたりから始まったなーと思ってます。確かにあれは面白かったし、革新的でもあったし、めちゃくちゃ流行った。似たような作品もたくさん出てきたし、それらも売れていった。
でもここまでこういった作品が増えてきた今、もはやそれは別ジャンルにするべきだと思うんですよね。上でも書いたように楽しみ方が違うじゃないですか。顧客が求めているものが違うし前提条件も違う。
自由に散策できるゲームにはオープンワールドっていう名前がつけられて、もうオープンワールドかそうじゃないかで棲み分けされてるじゃないですか。今それが物語にも必要だと思います。
それこそ「お隣の天使様」のように金髪清楚系小動物ヒロインが好きな人向けの作品であることを全面に押し出すのであれば、もはや「一本道です」と本の説明欄に書いたり「一本道」コーナーとして別に作ってくれてもいい。
そしてそうじゃない作品を好きなオタクも絶対にいるはずなんです。それも多数。なろうのような多数ヒロイン系でもハーレム(負けヒロインが存在しない)にするのではなく、勝ち負けのあるラブコメが見たい人だって、まだまだ沢山いると思うんですよ。
がんばれ、負けヒロイン
自称失恋愛好家の私としては、負けヒロインにも魅力があると思います。ちょうど昨年そんなアニメがありましたね。あれは凄いアニメでした。
話を戻して負けヒロインですが、そこには当然"切なさ"がありますよね。
好きな相手がいるけれど、想いが報われなかった。そういう悔しさに近い場合もあれば、相手の幸せを願うからこそ清々しい気持ちで送り出す、でもそこには隠した涙が……という爽やかながらほんのり苦みもあるような味もあるわけです。
さらにヒロイン同士の交流も勝ち負けがあると"深み"が出ます。
これはもう断言したい。ヒロインたちの駆け引き、勝負、そして葛藤。ヒロインとヒロインは恋敵であると同時に友達でもあったりするわけじゃないですか。恋愛だけが世界の全てではないし、ヒロインの数だけ物語があり、ヒロインの数が増えるほど関係性は複雑に増えていく。
これは一本道でもハーレムでもない、ヒロインレースのある作品だからこそです。負けがあるからこそゴールに至るまでの過程が変わってくる。勝ちも負けも意味合いが変わってくるじゃないですか。
書き疲れたので、終わり
土曜の朝にVtuberのアーカイブと競馬を反復横跳びしながら感情のままにダダダダッと打ち込んでたら疲れたし迷子になってきたので終わります。
私はね、ヒロインレースのある作品がもっと見たい。もっと流行ってほしい。
ただ、それだけなんです。
(※本記事にて紹介している作品および示唆している作品等はいずれも視聴済みであり、貶めるなどの系はございません。ご意見あれば該当部分を修正致します)
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