感想と学び14作目「ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉」

今までインプットをおざなりにして生きてきたことを反省し、アニメや映画やラノベを見てブログに感想と学びを書いていこうと思い立ちました。

そうして始まった【感想と学び】シリーズの14作目、映画【ウマ娘プリティーダービー 新時代の扉】を書いていきます。

ネタバレもちろんあります。作品の説明は最低限にしかしません。


簡単な紹介

競走馬を美少女化させて、彼女たちが陸上選手のようにレースを走ることで史実のストーリーに時に仮想も交えながら大河ドラマのように展開させていく熱血スポコン系コンテンツの初めての劇場版アニメ。

主役には2001年のダービー馬ジャングルポケットを抜擢し、同世代のダンツフレームやマンハッタンカフェおよびアグネスタキオン、先輩としてテイエムオペラオーやフジキセキらを配して、ジャングルポケットのデビューから2001年ジャパンCにて優勝するまでを描いたストーリー。

フジキセキの走りに圧倒されたジャングルポケットが、トゥインクルシリーズ(ウマ娘では一般的な競馬のレースはこう呼ばれる)に参戦して最強を目指すところから物語は始まる。

世代の有力馬アグネスタキオンにホープフルS(当時は別名)で初敗北を喫し、リベンジを誓うも皐月賞でも圧倒されてしまう。さらにはレース後にアグネスタキオンは唐突に無期限の休止という事実上の引退宣言。憤るジャングルポケットだが決断は覆らない。

その後トレーナーと憧れのフジキセキが夢としていたダービーで一着に輝くジャングルポケットだが、彼女自身は敵わないままにいなくなったアグネスタキオンの幻影への絶望が晴れないままで、スランプに突入してしまった。

先輩にして憧れのフジキセキに喝を入れられ復活したジャングルポケットは、ジャパンCにて現役最強の先輩テイエムオペラオーに挑み優勝。その走りを見てアグネスタキオンも再びレースの世界に戻る。

綺麗とは違う映像美

アニメーションにおける「作画が良い」というのはどういう映像を指すのか。アニメは究極的にどこを目指していて、視聴者からはどういう映像が求められているのか。

例えば全身の動きをデフォルメせずに滑らかに動かした実写のような響け!ユーフォニアムも「神作画」であり、実際には存在しない(つまり実写ではCGで作るような)エフェクトがガンガンに乗っている鬼滅の刃も「神作画」でしょう。ここ一番では3DCGで普通やるようなライブシーンなどで動いているキャラをカメラで回り込みながら撮っていたぼっちざろっく!のようなアニメもまた「神作画」と評されます。

今回のウマ娘の映画もまた簡単に言ってしまうと「神作画」でしたが、誤解されたくはないので勇気のいる表現になりますが、すべてが綺麗な映像だったわけではないと思うんですね。綺麗というか、整っていないというか。

レンズを駆使すれば分かりませんが、実写のカメラでは基本的に人間を撮るにあたって右足だけ3mあるようなものは撮れない。CGを使うことになると思うんです。でもアニメならそれができる。

そういった、物理法則や前後との整合性をわざと崩した映像表現もまたアニメだからこそ出来ることであり、その物語をアニメという媒体をもって表現するときの意義となりえるものだと私は感じていて、まさしくウマ娘はそういう作品だったなと思います。

それらは日本アニメがフルコマでなくリミテッド、3コマ打ちとかを使う中で工夫され開発されてきた技術であると思いますし、そういう「日本アニメらしい映像表現」に富んだ作品だったんじゃないかなと。そういう意味での「神作画」なアニメだったと思います。

ウマ娘の本質に問いかけるストーリー

ウマ娘という存在は、もともとが馬を擬人化したものであり、人間みたいに動くけれど身体スペックは馬のようだという歪な存在であり、それはしばしばコンテンツ内でもギャグ的に言及されてもきたわけですが、アグネスタキオンはそういった歪さに対して正面から向き合っているキャラクターでもあります。

ウマ娘の生態に関して研究をしている彼女は、ウマ娘にとって走ることは本能であると理解しながら、走ることを極めた先に何があるのかに思考が及んでいました。彼女が世代のエースとして皐月賞を走り抜けた際に見たのは、極めようとすることで到達するのは物理的限界を超えることによる故障であること、自らの能力に肉体が追い付かなくなるという未来でした。

そこにたった一人気づいてしまった彼女は走ることをやめてしまいます。飄々としているようで孤独を感じていたかもしれません。一心不乱に走って能力を高めようと思える、本能に忠実でいられるジャングルポケットたちが羨ましくあったかもしれません。

自分では至れなかった世界に、あるいは自分とは異なる肉体を持ったウマ娘なら到達できるかもしれない。そう思考を転換させたアグネスタキオンはかつてのライバルであったジャングルポケット達のレースに足を運びますが、最終的には自分がそこを目指していないこと、そうして辿り着けたとしてその景色を自分が見られないことに物足りなさを感じ、本能のままに再び走り始めるのでした。

これらはウマ娘のアプリのメインストーリーにあるサイレンススズカに関する展開を思い出させるもので、私は凄く感動しました。

サイレンススズカのストーリーは、物理限界を超えた走りがスズカの肉体を壊して競走能力を奪ってしまうんじゃないかということをアグネスタキオンが言っていて、しかしスズカは最終的には仲間達の光に導かれて天皇賞を走り切るというもの。

史実の競走馬としてのアグネスタキオンは世代のエースとされ皐月賞でも「アグネスタキオンまず一冠」と言われたほどの馬ですが、その後走ることができませんでした。それを速さの代償に未来を閉ざされたと捉えればサイレンススズカにも重なる部分があり、しかし決定的に違うのは命を落としていないこと。アグネスタキオンは種牡馬になっています。

そうした点から先輩フジキセキはアグネスタキオンの代理人であり、彼女がジャングルポケットに一度は夢を託しながらもジャングルポケットの存在に刺激されて再び勝負服に袖を通すこと、そのフジキセキの姿によってジャングルポケットが復活するシナリオは、本当に美しくまとまったものだったなと感じます。

アグネスタキオンを軸にして

作品には視点を一人称にするか三人称にするかとは別に、物語の軸をどこに置くかというものがあると思っています。

ウマ娘はしばしば二人のキャラクターをメインに据えて主として片方の視点の一人称で進めていきますが、本作ではこれまでのアニメシリーズとは異なりジャングルポケットではなく主軸がアグネスタキオンに置かれていたなと感じます。

だからジャングルポケットが札幌記念や菊花賞で負けることはそこまで重要ではなくて、アグネスタキオンのいた皐月賞といないダービーに尺が割かれていました。

特に印象的だったのがダービー後の夏合宿のシーンで、アグネスタキオンのことを意識するシーンではずっと下手から上手に向かって逆行する方向に走ったり歩いたりしていました。あくまで記憶で語っているので実際にどこがどうとは言えませんが。

これは上手側にアグネスタキオンがいるということですし、ジャングルポケットたちはアグネスタキオンが残した「残光」のきらめきに向かって走り続けていたのでした。

そうして走ることがしんどくなっていったジャングルポケットを救うにあたってフジキセキは多摩川沿いのコースで勝負することを提案します。
コースで走るということは一周するわけで走る方向もぐるっと回る。

どこでイマジナリーラインを越えたのか、ちゃんと覚えてはいないのですが、コースを回って走ることで逆行が順行に変わり、ジャングルポケットの走りがアグネスタキオンの残した輝きを追いかけるものから、未来に向かっていく最強を目指す走りになる。そうして復活するというのが凄く素敵だなと感じました。

最終的にレースに背を向けて走り始めるアグネスタキオンも未来に向かっていくもので、ジャングルポケットが走るジャパンCの東京コースは左回りなのでスタンドに向かったカメラなら順行となり、素晴らしいなと。

もともとは史実の実況にて登場した「新時代の扉」という言葉が、ジャングルポケットはもちろんアグネスタキオンの史実では見ることができなかったIFの未来にも係るという、競馬ファンとしても感動するシナリオでした。

感想

いやね、面白かったです。

そしてダンツフレームが可愛かったです。

これまで3000字くらい偉そうに映画評論家みたいにシナリオがどうだの書いてきましたけどね、実際に映画見てるときは「ダンツちゃん可愛いなー」ってずっと思いながらポップコーン食べてました。

なんかあれですよね、虹ヶ咲のGo Our Wayの衣装の歩夢ちゃんみたいで、可愛いしえっちでした。皐月かダービーの汗ぬぐってるシーンとかも良かったです。皐月かな。

ウマ娘って可愛い女の子が表情崩してまで必死に頑張っているというのが良いですよね。私はプリキュアで育ってきた人間なので、そういうの好きです。レース後の表情とかも好きなんですよね。アニメ3期のシュヴァルグランとかね。

本当に面白かったですし、たぶん興行的にも成功すると思うので、ウマ娘の続編も楽しみにしています。

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