競馬について偉そうに語っている私ですが、競馬歴はコントレイル世代からです。
このわずか数年の競馬歴を振り返ってみたいと思います。
アドマイヤマーズの単勝500円
大学時代に先輩に競馬好きな人がいて、競馬を始めようと誘われてはいました。ただ家族にギャンブルやパチンコをする人がおらず、なんとなく自分とは遠い存在と思って控えていました。
そんな中で、大学を休学していた22歳の時に生まれて初めて馬券を買いました。きっかけはTwitterのフォロワーが沢山競馬を始めていたからで、私も初めてみようかなという軽い気持ちでしたね。
買ったのは2020年マイルチャンピオンシップ、アドマイヤマーズの単勝500円。
特に深く考えずに、たしか10倍くらいついてたので勝ったら5000円じゃんと思って買いました。
まぁ、負けちゃったんですけど。
給付金に手を出す……
初めての負けから、競馬はG1の話題を見るだけにしていました。レースもちゃんと見てませんでした。
すると翌春に新型コロナウイルスが流行り、自宅待機を求められるようになりました。そして大学を休学してバイトしていた私に、政府から給付金が。私の第一次競馬時代が始まったのです。
……ところが、私に競馬のセンスはなかったようで、約1か月で競馬をすると決めていた資金が尽きました。そしてあっけなく第一次競馬時代は終わったのです……。
この頃は本当に愚かでした。馬柱ばかり見ていました。走破時計にとらわれ、上がりの数字で末脚を比較し、騎手は意にも介せず人の予想を見て自分の買い目を変えたこともありました。全く競馬予想の面白さを理解せずにただお金を増やすためのものとして向き合っていました。
負ければ負けるほどつまらなくなり、高配当を狙うようになり、的中率はさらに下がりました。
転機、それは強い幸福感
第一次競馬時代が終わり、私は一度自らを見直すことにしました。
お金を賭けるのを控えて、メインレースの予想だけすることにしました。そしてたまに少額だけ賭けました。地方や平場は見ないようにしました。
少しずつ競馬のローテだとか仕組みも理解するようになりました。データの見方もここで学びました。
そしてアーモンドアイが引退し三浦が振り落とされコントレイルがレイパパレに敗れ、時は訪れました。
私が就職して迎えた2021年の春クラシック第1冠、皐月賞。会社で仕事しながら先輩と一緒に観戦して、大きな声が出ました。生まれて初めて万馬券が当たったんです。
エフフォーリア、タイトルホルダー、ステラヴェローチェの三連複でした。あの時のエフフォーリアと横山武史騎手に脳を焼かれて、だからあの皐月賞は今でも私の中で特別なレースです。そして次のダービーでエフフォーリアを本命にして、負けました。
競馬に絶対はない。改めてそれを強く感じました。本気で馬を応援して負けたのは初めてで、あの時ようやく競馬を100%のスポーツとして楽しめた気がします。
そうしてメインレースをスポーツとして楽しみながら、おまけで賭けるようになりました。第二次競馬時代のはじまりでした。
絶頂から転落、そして無職に
エフフォーリアが年度代表馬になり、大阪杯は謎の大敗をしてしまいましたが、それでもまだ現役最強と呼ばれていました。タイトルホルダーが春天で圧勝し、シャフリヤールがドバイSCを勝ち、このころは本当に面白かったです。馬券もよく当たっていましたし。
ダービーでは初めて競馬場に行きました。東京競馬場のあの景色、ダービーの熱気、ドウデュースの走りと武豊コール。最高の体験でした。この時も馬券は三連複で当ててます。
ただ安田記念ではシュネルマイスター単勝も外し、対抗に挙げたソウルラッシュも詰まって来れず、そして宝塚記念で絶望に染まりました。
忘れもしません。あの日はラブライブサンシャインのライブで東京ドームに行っていて、ライブ前に後楽園のWINSで観戦していました。正直エフフォーリアは買えないと思っていました。武史のコメントも追切も渋かったですし。でもパドックを見て、日光に照らされたエフフォーリアを見て単勝の購入を決意しました。買わなきゃ後悔すると思って、その時の競馬予算をすべて入れました。
パンサラッサが逃げて1000mのタイムが出て大きな歓声が上がりました。その時点でエフフォーリアが先行できてなくて、もう縋る思いで見ていました。直線でエフフォーリアは3着争いすらできませんでした。岡安アナの実況では、直線入り口で「エフフォーリアはちょっと苦しいか!」で終了です。胸が張り裂けそうで、外れたら持って帰るつもりだった単勝馬券も捨ててしまいました。
そんな日々を送っているうちに、わけあって私は会社を退職して無職となりました。
血統の目覚め、競馬と向き合う日々
無職となった私に残されたものは、有り余る時間と競馬への熱だけでした。
やがて再度就職して競馬に満足にお金を賭けられるようになった時のために、競馬の勉強をしようと思いました。有名な合田さんみたいな有識者に憧れました。そうして血統に目覚めました。そこからが第三次競馬時代です。
朝から晩まで血統を見ていました。この馬知らないなと思ったら戦績を調べて、Youtubeにあったらレースも観ました。ネット上で過去の名馬や海外の名馬について書いてあるサイトとかも沢山読みました。もちろん今もまだまだ継続中です。
知れば知るほど、血を繋ぐことの難しさを感じるようになりました。血統表に名前を残すのは至難の業です。だから血統表を見ていて父系として名前を残せなくても、母方に入っている昔の名馬を見ると嬉しくなります。
モーリスやアファームドを好きになったのもこの時期です。本当に格好いいんですよ。
競馬をスポーツとして好きになって、そしてその歴史とロマンも楽しめるようになって。無職だった私もとりあえずバイトをするようになりました。
束の間の希望、そして別れ
2023年の有馬記念。レース前の記者会見で、武史のコメントに泣きました。「有馬だからとかではなく、僕はエフフォーリアともう一度勝ちたい」。
当日はテレビで応援していましたが、返し馬で泣きました。あの一瞬だけ、強かったエフフォーリアだったんですよ。レースでは捲りの展開になってエフフォーリアは馬券に絡めませんでした。それでも希望は持てる内容でした。休み明けでこれなら、と。
京都記念の日は、共同通信杯があるからと東京競馬場に行っていました。モニターに映るエフフォーリアが素晴らしくて泣きました。パドックが始まってから、複勝オッズもぐんと落ちたんです。私だけでなく、多くの人がエフフォーリアの復活を確信しました。
レースが始まって、武史が二番手まで押して行って周りがどよめきと興奮に包まれました。勝ったと思いました。昨年ダービー馬のドウデュースに勝って、やっぱりエフフォーリアが最強なんだって、そんな未来を描きました。そしてエフフォーリアは、沈んでいきました。
好きな馬が故障することは経験がありました。例えばデシエルトとか。でもレース中に沈んでいったのは衝撃が何倍も強くて、言葉が出ませんでした。そのあとの共同通信杯はもう抜け殻でしたね。東京競馬場から人が帰っていくなかで、しばらく体育座りしてました。もうここで寝て夜を過ごしたいってくらいでした。
昇る朝日、雲間から差す光
エフフォーリアが種牡馬入りし、私は再就職しました。
人生でまた新たな局面に踏み出して、エフフォーリア圧勝から2年が経った皐月賞。
土砂降りでどろっどろの中山競馬場。直線を向くとえげつない末脚でソールオリエンスが外から飛んできました。吠えました。テレビの前で吠えました。武史と一緒に吠えました。
ジョッキーカメラで武史が喜びを爆発させていて、あの苦しかった1年間が終わったのだと思いました。スタンドに戻っていって、そしたら空が晴れていたんです。それが本当に美しくて。
競馬って出会いと別れなんだ。分かってはいたのですが、それが本当の意味で理解できました。
毎年繰り返す出会いと別れ、その中で繋がってきたものが血統なんですよね。
今度は伝える側へ
そうして今に至ります。
まだまだ競馬に関してはひよっこです。でもこの数年で学んだこと、分かったこと、感じたこと。今度は私もそれを伝える側になりたいと思っています。
このブログに書くことはあくまで自己満足です。ただ見た人が競馬を好きになれるような、今までとは違った視点から楽しめるような、そんな記事を書けたらなと思っています。あっ、競馬に関する記事ではの話ですけどね。
というわけで私の競馬歴でした。
半分くらいエフフォーリアの話だった気もしますが、まぁいいです。自分語りの記事なんて推敲して何度も書き直す気にはならないので。一発書きです。
ではでは。
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