血統観

競馬の血統について書いていくにあたって、まず最初に血統観を書いておく必要があると思います。

“血統観”というのは私が今思いついた造語で、要は競馬における血統をどう考えているか。

私自身が血統に関していろんな人のツイートであったりブログであったり本を読んでいくなかで、感じたことや自分との違いを書いておくべきだと感じたので書きます。といっても私はまだ血統を見るようになって2年目とかのペーペーなんですけどね。

前置きはさておいて。

血統は半分オカルトである

半分、というのは50%みたいな具体的な割合ではなく印象の話。

「血統好きが血統を否定するのか!」という意見はあるかもしれませんが、そうは言ってもすべての馬について遺伝子解析情報を得られているわけではないので、科学に基づいて血統を語るには限界がありますからね。

むしろ科学的だと言い切ってしまうのは非科学的だと思います。科学に基づいた発言には限界がある、半分くらいはオカルトだと思ってくれ、そういうスタンスの方が血統を語る上では科学的な気がしますね。

もちろん、できるだけオカルトなことは言わずに科学的に違和感の少ない考察を目指しますが。

全ての血統が広義のインブリードである

インブリードに対して様々なスタンスの人がいます。

ある人はインブリードによって強い馬ができると言います。またある人はインブリードは競馬を破壊すると言います。全員に共通しているのは「諸刃の剣」だという認識でしょうか。

私はと言えば、インブリードに対しては許容派と名乗るのがいいかもしれません。

競馬というか競走馬、サラブレッドは定義からしてインブリードです。サラブレッドから生まれた馬しかサラブレッドとみなさないわけですから。

おそらくは大半の馬がPhalaris(ファラリス)やSt.Simon(セントサイモン)やHerod(ヘロド)の血を持っているわけですよね。ということはインブリードなんですよ。それの度合いが強いかどうかだけ、血統表で遠いかどうかだけ。

もちろんそれは屁理屈かもしれませんが、3×4とかならまだしも、5×5とかになると6×4との違いは何?って思うんですよね。7×6は? 8×5は?

そこに明確な境界線ってないですよね。

だからそこで区切ってインブリードとアウトブリードを語るのは好きじゃない、というのが私の考えなんです。インブリードによる危険度も、インブリードの効果もです。

あくまでその人の感覚、基準に基づいてのものだっていう意見です。

父馬で特性が、母馬で能力が分かる

さっそくオカルトなことを言います。

単純化したゲーム的な考え方で、母馬がその馬のステータスを決めて、父馬がその馬の特性を決めると解釈しています。

簡単に言えば競走馬の能力としては母方の血統を重視しているということです。牝系が走っている方が評価できるし、その逆も然りと。

特性というのは、たとえば持続型だろうとか早熟だろうとか逆に晩成寄りだろうとか、あとは距離適性であるだとか。そういう部分は父を中心に考えますね。もちろん母方も影響しますが、父の方が圧倒的に参考となるデータが多いので捉えやすいというのが理由です。

血統表は生産者の願いがこもった短冊である

生産牧場からすれば、走る馬を輩出するのと同じくらい牝系を育てることも大切なことだと思います。

だから血統表を見る時には、どんな牝系にどんな種牡馬をつけてきているのかは気にしています。それはどういう馬になってほしいかという生産者の願いがこもっているからです。


はい、こんな感じです。

血統を見てると「結局は競馬って牝系ゲーじゃん」って思う瞬間があるかもしれません。私もそういう時期はありました。実際、父馬の多くはGⅠを勝つような名馬なのに対して母馬は未勝利のまま引退した馬からGⅠを複数勝つ馬までいます。だから多くの馬は母馬の血統で差がつきます。

ただ血統も牧場も厩舎も騎手も、どれもその馬にとっては重要で、どれもその馬の全てではありません。

一般に血統による競走能力への先天的な影響は3割と言われています。その数字の妥当性は置いておくとして、血統は能力に少なからず影響しますが血統だけで馬券が当たるならもう仕事辞めてます。

血統は、出馬表を見てあーだこーだ予想したり結果論であーだこーだ言ってるくらいが、良いくらいの距離感じゃないかなぁと思うわけです。

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