そうだ、神回を見よう ~ガールズバンドクライ4話~

世の中には多くのアニメがあり、多くの物語があります。

そのなかにおいて特に脚本や演出や作画のクオリティが光る神回を見ようというのが、このシリーズです。

アニメのプレゼンではなくココが良い!という感想を書くのが主目的なので、ネタバレは含みますがシナリオの解説はしません。
この記事を開く時点で未視聴の人はほぼいないだろうということで世界観やキャラの説明もしません。
仮にそういう方がいたら先に見るかWikiとかを見ながら読んでください。

※なおこのシリーズでは演出の説明などのために本編シーンの一部を引用しております。著作権には最大限の配慮をしているつもりですが、ご指摘あれば削除します。


ガールズバンドクライ 4話

ガールズバンドという少なそうでそれなりにあるジャンルにおいて、おそらくアニメの歴史に名前を残す衝撃作【ガールズバンドクライ】

ライブシーンのみならず日常も含めて、ほぼ全てのキャラをフルコマの3DCGで動かし続けるという狂気に満ちた作品でしたが、宣伝からしても計画的に大ヒットを達成した東映アニメーションの渾身の一作だったと思います。

スタッフについては最後にも触れますが、ラブライブ!サンシャイン!!のタッグが再集結したほか、東映作品のプリキュアやドラゴンボールで3Dを担当していた方々が加わるなど、実力派がそろっています。

特に3Dはプリキュアのオタクとしては納得でした。NS3のプリキュアメモリの衝撃を思い出しましたよ。ハピチャは間違ってなかったんや……。

余談はさておき、そろそろ書いていこうと思います。

今回のテーマは社会性の獲得。

井芹仁菜という主人公の魅力と、この物語がなぜ面白かったのかを脚本の面から考えてみます。そしてそれがこの回の「何も進展していないのにキャラは満足そうにしている」展開にもつながっていきます。

井芹仁菜と2人の大人

いきなり根幹から書きますが、基本的に本作においては一貫して井芹仁菜の成長と、彼女が生み出す嵐を中心に描かれています。

この4話は所謂「すばる回」なわけですが、中心はすばるではなく仁菜です。結論を書いてしまいますが、仁菜が社会性を獲得するのが全体構成における4話の役割。

桃香とすばるは仁菜からすれば既に大人で、仁菜は精神的に未熟な部分が目立ちます。しかし未熟だからこそ磨く過程で研がれてしまうものがまだ残されている、そんな仁菜が持つ粗々しい輝きが作品前半の魅力です。

この4話でも仁菜が子どもであることを前提として視聴者と共有するため、桃香とすばるという2人の大人と仁菜という2対1の構図が序盤に描かれています。

画像は楽器店を出てから練習行くぞと声を掛けられた場面。

この楽器店のシーンでは直前3話のライブの余韻が抜けない仁菜を2人が温かい目で見ています。

仁菜の方がメインになるので、手前に大きく配置しています。

仁菜の視線の先、廊下のパースに合わせて視聴者の意識が奥にいる2人へと向かうようになっています。サイズが小さいことを補うためでしょうか。

これは練習中の会話シーン。

ここでもドラムのすばるを桃香側に立たせることで2対1の構図にしています。

この練習スタジオの画面は序盤・中盤・ラストと三度出てきますが、序盤は2対1、中盤は桃香が端に行って屈むことで仁菜とすばるの1対1になり、ラストでは定位置に着いた3人になるという構成になっています。

同じ画面を部分的に入れ替えることで関係性や時間経過を表現するという手法です。こうした繰り返し提示されるような構図とかを指して、イメージシステムなんて言い方をするらしいと最近本で読みました。今後はそう呼んでいきます。

この場合は仁菜がこの4話の中で社会性を獲得し、成長していることを表現しています。

桃香という一つの未来

桃香はダイダス(略称)という所属していたバンドを脱退した人物で、恋愛沙汰ではなかったもののバンド内の不和(桃香1人ですが)の経験者です。

つまり桃香はバンドマン(ウーマン?)として先輩で、仁菜とすばるに対して答えの一つを知っているキャラです。だから彼女は4話では徹底して傍観者。しかしただ傍観させるだけだと持て余してしまうので、4話Aパートでは彼女の過去について仁菜に掘り下げさせています。

桃香の話自体は特に驚きもない、言ってしまえばよくある話なのですが、ただ仁菜は彼女が高校生の頃(つまりダイダスのメンバーと同じ方向を向いていた頃)は今とは違う笑顔を見せていたことを知ります。

桃香は自分のやりたいことを尊重して脱退した。その判断自体は仁菜は今後もずっと肯定していきます。しかしその判断によって桃香が当時の笑顔を失ったのは確かです。仁菜がこの4話の後半で「正しい選択がベストなのか」を考えるきっかけになるんですね。

すばると彼女の祖母に、今の桃香のように笑顔を失ってしまわない未来はないのか。視聴者からしても最後に仁菜がとる選択に納得できるようになっています。

分かりやすい光と陰。真ん中の観葉植物で区切られています。

このシーンでは桃香にダイダスの話を仁菜が問い詰めているので、仁菜が上手になります。光に背を向けて、1人ギターを触る桃香の方を向く仁菜。明るい未来よりも桃香の方が気になる。

桃香は見ないようにしていますが、仁菜は彼女にとっての光、希望です。

しつこく迫られ、仁菜に渋々過去を話し始める桃香。

基本的にキャラを立たせるために(同時に背景情報を簡素化するために)ローアングルが多くなりがちですが、だからこそ俯瞰のハイアングルを選択しているカットはその意味を考えたいものです。

ここでは桃香が主体なので、彼女を上から見下ろすことで小さく見せているわけです。桃香は自分と自分の過去のことを人に話すようなことではないと思っているからですね。

しかし続くカットはローポジ。このカットは話を聞いている仁菜が主体だからですね。桃香の話を通して彼女の過去を明かされるのは視聴者も同じなので、仁菜にライドできるようにしてあります。

このカット、桃香は話をしながら回転しています。暗闇から光の方へ桃香の視線が動いていくのは、彼女たちが明るい未来を夢見て進んでいたことを示しています。

しかし回転は止まらず、彼女はその光に背を向けることになってしまいます。脱退したことを桃香は後悔こそしていませんが、必ずしも前向きな脱退でなかったのは明らかです。

光に背を向けた桃香は、仁菜に語りかけながら仁菜へと視線を向けます。

仁菜は屈んだまま、桃香を見上げています。この構図において桃香は上手に立っています。

桃香は今の自分に対して半ば自棄になっているわけですが、そんな桃香をそれでも仁菜はリスペクトしているし、仁菜にとって桃香は憧憬の対象なんですね。

桃香の視線の先に光を背にした仁菜がいたように、仁菜の視線の先にもまた光を背にした桃香がいる。この2人はお互いに相手の存在が希望ですし輝いて見えるんです。

すばるの嘘と仁菜

4話において話を動かすのはすばるの祖母、ではなくすばる

彼女が仁菜達へ素直に事情を話していれば「そうなんだ」で終わりですし、或いは祖母に役者を目指すのは辞めると言っていれば済んだ話です。

でもそうしないのはなぜか。
それはこの問題を仁菜に考えさせるためです。

祖母の襲来を介して、焦点は仁菜とすばるの1対1へと絞られていきます。

先述しているように桃香は4話では傍観者なので、いわゆる「後方理解者面」になっていきます。子どもをメインにした作品における大人は答えを知っている存在。そんな桃香はまだ10代である仁菜の選択を見守る役割を担います。

これはシリーズを通して言えることなのですが、意図的に仁菜以外のバンドメンバーは仁菜よりも精神年齢が高く設定されています。これが非常に効果的だなと思います。

というのも、仁菜のロックを表現するための(見方によっては粗暴とも言える)言動が視聴者である私達から見ても魅力的に映るのは、彼女の周りの人間が大人で、なおかつ「何やってんだよ」と否定はせずとも従順にはならない姿勢があるからです。

例えば仁菜が感情のままに無茶やっていることをバンドメンバーが「さすが仁菜様」なんて言っていたら、視聴者は置いていかれてしまう。なぜそう思うのか理解できないし、当然共感もできない。

そうでなくて「子どもだなぁ」とメンバーに言わせることで、視聴者はメンバーの側に感情移入できて、そうしたら仁菜の言動も可愛らしく思えるんですよ。

仁菜たちと話しているところを祖母に見つかる場面。

最も優位にある祖母が上手で、事情を知らない仁菜と桃香が下手、すばるは両者に挟まれる位置にいます。

この時点では仁菜と桃香に対してすばるという2対1。こういう構図でもカメラのアイレベルは仁菜に合わせられていて素敵ですね。

喫茶店で祖母が席を外したカット。
わざわざ手前の椅子をナメて真ん中に据えることで2対1の構図にしています。ここでもアイレベルは仁菜合わせ。

まだすばると仁菜の1対1ではないので、すばるの正面は桃香を配しています。

このシーン、エチュードを誘われて「嫌です」と返す仁菜は流石ですよね。

単なるコメディではなくて、部外者でもある仁菜は祖母に対して言いたいことをハッキリと言えるということを前提として視聴者に提示しているんですよ。桃香の影響もあって言いたいことを言えるようになった仁菜なら、すばるの祖母に何も気にせず言える。

この前提があることで祖母に言えないすばると対比が生まれますし、最終的にすばるに言わせないことで仁菜の社会性獲得という表現にも寄与しています。

エチュードのシーン。

3人を三角形に立たせて、そのままの三角関係。俯瞰で広角に撮っています。舞台設定という役目を終えた祖母は傍観者になるので上手の端に。三人の中だと仁菜と桃香が向かい合うところをすばるが眺めている形です。

当然、エチュードの中身はキャラたちの関係を示唆しています。

エチュードのシーン、続き。

上と同じ画角ですが、すばるは間に立っていた桃香を超えて仁菜へと歩み寄ります。ここで仁菜と桃香の1対1になるんですね。歩み寄ったすばるに対して仁菜は牙を剥きます。

このシーンのように境界線を越えるのは重要です。境界線をどういう風に設定するかもコンテマンの魅せどころだと思っていて、イマジナリーラインは意識してないと気付かないときもあるので、分かるようになりたいです。

エチュードからの帰り道のカット。

鏡に映る自分の姿は己の内面。すばるは自分の心と向き合えているのが重要。

この問題に対して自分はどう思っているか、どうしたいかをすばるはしっかりと考えられているんです。彼女の中では答えは決まっていて、ただその踏ん切りがついていないだけ。

そして桃香。

すばるが言い出せずにいることに対して言いたいように言っている仁菜へ、人には人の事情があると語っています。4話前半で仁菜に自身の暗い過去を語らされているので説得力のある眼差しですね。

傍観者になる桃香がこの回において仁菜が獲得する社会性をここで既に言及していることで、桃香が傍観者となることに意味を持たせています。

幕間・印象的なカット

印象的なカットを、ちょこちょこ挙げていきます。

冒頭、楽器店ではしゃぐ仁菜。

浮かれている姿が可愛いですが、彼女はここでも理想の自分を桃香に重ね合わせています。

「桃香さんみたいに……」というセリフそのままですね。

こういうのって3DCGだと違和感をなくすのが難しいイメージがあったのですが、全然成立してて良いです。ドラゴンボール超の映画もそうでしたけど未来を感じます。

すばるが早退してしまった場面。

最近構図の勉強をしているのでピックアップしてみました。これ、いわゆる三分割構図ですよね。

桃香がひょっこりとドアの隙間から覗き込んでいる(彼女は今話では傍観者なので)顔の位置が、ちょうど三分割の左上の交点になるはず。仁菜は右上。

今までそんなこと気にしていなかったのですが、LOって改めて必然性をともなっているんだなと。

桃香の過去について仁菜が追求するシーン。

弾き語りモードに入って嫌そうにする桃香に対して仁菜が歩み寄ります。

ここでは聞かれる側の桃香にアイレベルを合わせて、手前に仁菜のお尻が上手からINしてきますが……。

仁菜はしゃがみ込んで桃香を下から見上げる姿勢になります。

上でも書いているように今の桃香をそれでも仁菜はリスペクトしていることを表現しています。上から問いただすようなことはしないのが仁菜の素直ながら可愛らしい部分であり、育ちの良さを感じさせる部分でもありますね。

仁菜がすばるとの会話を経たあとのカット。

謝るだけでなくミカンを置いているのは育ちの良さを感じさせますね。正直普通の高校生はこれはやらないでしょうし、過去に親がそうしているのを見たことがあるからでしょう。謝ったりお礼を言うときにこうするというのは社会人でもなかなか出来ないことだと思います。

すばるに家に誘われた時の「うそ!ある!!」もですが、彼女は誰にでも噛み付く狂犬ではないですし、こういう悪いと思ったら謝れる素直さも直情的だからこその可愛らしさじゃないでしょうか。

仁菜が下した判断

自分の信じるままに突き進むことは正しいという青さ、若さ、時として蛮勇にもなる強さを桃香からもらった仁菜ですが、世の中には正しいか間違っているかの判断が難しいことも沢山あることを4話で学ぶことになります。

先んじてそのステージで戦っているすばるの話を聞いて、正しいと思う方に進もうとする姿を描写したあとで、アクセルと同じくらい豪快にブレーキを踏むに至る。その流れが丁寧かつ大胆でテンポ良く1話分にまとまっているのが凄く見ていて楽しいです。

若かりし頃の祖母を紹介しているすばる。映像にすばるが重なります。

すばるの視点は窓から差し込む光を向いています。祖母を見て女優を目指したこと自体は彼女にとって嫌なことではなかったし、祖母がやっている女優という仕事にも別に嫌な気持ちはないんです。

しかし光は窓の向こうからで、それによって作られた十字架がすばるに伸びていきます。俯き表情が曇るすばる。ここで語っていることが本心でないのは明らかです。

すばるの性格からして、女優を目指すにあたって生半可な気持ちで挑むはずもないですし、でも真剣に打ち込んでいたからこそ女優の孫として評価されている嘘にも気付いてしまったんでしょうね。そういう部分をさっと理解してしまう聡さが逆に苦しむ原因になっています。

上手に座ったすばるが、同じ方向を見ている下手の仁菜にクッションを投げつけます。

映像において物を渡したり投げたりするのは心のやり取りを指すもの。ここでは「聞きたいことは言ってやったぞ」ということですね。

仁菜はといえば、このクッション(すばるから明かされた現実)によって影ができています。この連動性は面白いです。すばるからの、同世代だからこその仁菜への雑な当たり方と上手くリンクしていて好きです。

そして仁菜はクッションを投げ返します。

いろいろ聞いても、それでもやはり祖母に告げるべきだと言い切る仁菜。その姿はまさしく正論モンスター。そんな仁菜からクッションを投げつけ返されたすばるは笑みを浮かべます。

すばるはきっと分かっていたのでしょう。仁菜ならそう言うだろうと分かっていた。あるいはそう言ってくれることを期待していた。仁菜のそういう真っ直ぐなところをすばるは可愛いと思っているでしょうし、少し羨ましくも思っているのかもしれません。

いずれにしても、すばるは仁菜に背中を押して欲しかったのだと私は思っています。仁菜に事情を説っ名すれば、彼女は力強く「でも言うべきだ」と言うだろうと思っていたのではないでしょうか。

撮影シーン。休憩中の祖母のカット。

ここで祖母側の心情が明かされます。祖母の視線は順行、ルッキングルームは広く取られていて、まだまだ明るい未来を彼女は描いているんですね。

そしてそれを見た仁菜からはトゲが。

仁菜自身も祖母と同じように未来があります。仁菜は未来がない(と仁菜自身が判断した)学校や家庭という空間を切り捨ててやってきた存在なわけで、仁菜からすればすばるは祖母と演技を切り捨てることで自由になるはずなんです。そのこと自体は間違ってはいない。

でも祖母の温かな表情を見てしまったことで、言い出せずにいるすばるの気持ちが分かってしまうんですね。言いたいことがあるのに言えないから込み上げてきた思いがトゲになっているんじゃないでしょうか。

祖母と仁菜とは違い、すばるは下手にいてルッキングルームは狭くなっています。若かりし頃の祖母と同じように振り向いているポーズですが、祖母と違って画面の真ん中にはいません。すばるは祖母のようにはなれない。すばる自身が1番分かっていることです。

女優としてのすばるには残念ながら未来はない。だからこそすばるの視線はもう先を見ていない。しかし彼女の表情を見れば、ハッキリと見定めているものがあるかも怪しい。

すばるはこの時点では「ドラムなら本気になれるかも」程度の気持ちですし、仲間の桃香に対しても「本気なら素人2人とは組まないでしょ」と本気でプロを目指していないことを見抜いています。つまり女優を辞めてバンドでやっていく!とは言えない状態なんですよね。

なので仁菜は「やりたいことが見つかるまで言うべきじゃない」と言います。すばるの背中を自分が押したという自覚があるから引き留める。それは一見してどっちつかずな行動ですが、すばると桃香はその意味が分かっているので強く掘り下げません。

怒りを吐き出すすばる。本人は演技だと誤魔化しますが、もちろん演技ではないです。

すばるは仁菜の言っていることが正論だという意識があるので、仁菜に背中を押してもらおうとしたことを「甘えんな」と言われているようなもの。「正論モンスター」という表現が改めて効果的に機能していて収まりがいいなと思います。

結局、この回を通して何か変化があったかというと、何もないんです。すばるは何も祖母に伝えないので変化は何もないんですが、そこはどうでもいいんですよね。なぜならこの回は仁菜の社会性獲得をテーマにしているからです。

この物語は仁菜が破天荒に振る舞うロックさを楽しむ作品でもあるわけですが、その仁菜がただ親や環境に反抗しているだけだと視聴者からすれば不良と変わりません。でも仁菜以外に極めて一般的な感性を持ったキャラを配したら違います。

そして何より仁菜自身が一度この4話で社会性を獲得することで、その彼女がこの後の話数で例えば予備校を辞めたりする選択の重みを大きくなっているんですよね。社会性を理解したうえで反した行動をとると、それが怒りによる決断じゃないことが視聴者には理解できますし。

すばるの決断自体は、視聴者は予想できています。視聴者からすればメタ的にすばるがドラムを辞めるはずがないので、すばるの葛藤を見てもドキドキは薄いですしすばるが祖母を前に言い出せようがなかろうがサプライズはないんです。

でも仁菜がすばるを引き止めれば収まるんですよね。そこが本当に上手いなと。初見のときは「そうやって落とすんだなぁ」と感動しました。

おわりに

最近は映像の勉強をしているのでアニメや映画をついついそういう目で見てしまいがちなんですが、まずは楽しむということを第一にして観ることは忘れたくないなと思っていますし、何も考えずに見た時に笑ったり泣けたり驚けるような作品のことも大事にしたいです。

このガールズバンドクライのスタッフはラブライブ!サンシャイン!!を思い起こさせるスタッフですが、個人的には私が見たかったラブライブ!をガルクラが見せてくれたなと思っています。もちろんラブライブ!は学生の部活の話なのでそのままとはいきませんが、でもこういう話が見たかったです。

ラブライブ!サンシャイン!!との話でいけば、今作って3DCGなのにも関わらず服装が豊富なんですよね。私はアニメにおいて最も分かりやすい評価軸の一つに服装や髪型のバリエーションを挙げていて、だからセルでなく3DCGでこれができるのは凄いなと心底感動しました。Aqoursは正直物足りなかったので……。

主要スタッフ(敬称略)
監督酒井和男
シリーズ構成花田十輝
脚本花田十輝
絵コンテ酒井和男
演出大槻一恵

酒井監督がほとんどの話数でコンテを描いているんですが、正直コンテがすごいなと毎話数感じていました。

何話だったか忘れたんですが、桃香が十字架を背負ったあとに顔を上げて逆に見上げるシーンがあって、それなんかは思わずTwitterで「すごい!」って書きましたね笑。

今期(2024年夏アニメ)も負けヒロインのような面白コンテ作品がありますが、作画や撮影や3DCGが高度に発展しているからこそ構図で楽しませるコンテももっと評価されて欲しいです。

それから脚本ですが。

私はラブライブが好きなので花田先生に対しては様々な想いがあったわけですが、この作品を見て改めて確信したことがあります。やっぱりラブライブのメインキャラ9人って多いんです。

よりもいの平仮名2文字の回もそうですけど少人数で単話構成の話を書いたら花田先生ってめちゃくちゃ上手いんですよね。勢いあるし収まりもいいから爽やかにほんのりとできる、本当に面白い脚本が書ける先生なんですよ。

だからもしガルクラに続きがあったとしても、メインキャラは今の5人とヒナ(とダイダス)だけに絞って欲しいなと思います。

とりあえず2期があってくれることを強く願います。

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