世の中には多くのアニメがあり、多くの物語があります。
そのなかにおいて特に脚本や演出や作画のクオリティが光る神回を見ようというのが、このシリーズです。
アニメのプレゼンではなくココが良い!という感想を書くのが主目的なので、ネタバレは含みますがシナリオの解説はしません。
この記事を開く時点で未視聴の人はほぼいないだろうということで世界観やキャラの説明もしません。
仮にそういう方がいたら先に見るかWikiとかを見ながら読んでください。
※なおこのシリーズでは演出の説明などのために本編シーンの一部を引用しております。著作権には最大限の配慮をしているつもりですが、ご指摘あれば削除します。
BanG Dream! It’s MyGO!!!!! 10話
神回を見ようシリーズ第三回目は、バンドリの新シリーズともいえる「迷子」(MyGO)について書いていきたいと思います。
いやね、このアニメ面白いです。
見てない人いたら先に一気見してください。
私はリアタイしていなくて、放送された後に年が明けてからTwitterのフォロワーさんにおすすめされて見たのですが、このアニメをリアタイできなかったのが本当に悔しいですね。
では、さっそく書いていきたいと思います。
今回のテーマは作品全体での山場であるからこその盛り上げ方です。1~9話までの積み重ねを一気に弾けさせる気持ちよさ。まるで2000年テイエムオペラオーの有馬記念。
沢山の「ここ好き」ポイントがあるので長くなります。
青空の下の陰、暗闇の中の光
この作品、とにかく薄暗いんですよね。
シナリオの暗さに合わせるように空は曇ってたり薄暗かったりすることが多くて、この10話なんかは特に暗いです。明るいシーンがむしろ異質。
ここでは彩度の高い青空に自販機のジュースという青春らしい景観ですが、キャラ2人には影が落ちています。余計に暗さが目立っていますね。そんな気持ちの良い青春ドラマじゃないよという制作者の声が聞こえてきます。
でもこうした薄暗さは、後述しますけどライブハウスもそうなんですよ。
彼女たちを照らすのはライブの照明。ステージが彼女たちの輝ける空間で、彼女たちにとってライブこそが居場所なんです。全体的に暗いのはステージでの輝きを際立たせるためでもあるし、その光に彼女たちが惹かれ導かれていくことを表現してもいます。
これはネオン街で流れて常に明るい画面の中にいるsumimi(初華)との対比にもなっているんだと思います。答え合わせはムジカのアニメを待つことにしましょう。
もうひとつ。立希が飲んでいるのはブラックコーヒーです。
立希と海鈴のシーンでは二人はしばしば飲み物を利用したやりとりをしていて、例えば9話で立希がジュースを渡して海鈴が飲むのは「要求を飲んだ」ことを意味しています。そしてそこにおいて交わされるジュースは甘いものなんですね。
それがこのシーンでは立希が自分で自分のブラックコーヒーを飲んでいる。自らが招いた苦い現実を受け止めているという表現になります。
上手にいる海鈴の方が強い立場にあり(海鈴は基本上手です)、立希は光に背を向けて過去を意味する上手を向いています。
燈の独白
高松燈という女の子は少し変わったところがあって、そうした一般的でないとされることを本人は改善したいと考えています。
3話は燈視点での過去回想ですが、そこで燈は中学の卒業式で自分だけ泣けなかったのは大事にしているものが自分にはなかったからで、もしあるとするならばそれはCRYCHICだったと語っています。
CRYCHICの解散理由を燈は自分の歌唱が観客の感想で嘲笑されているのを祥子が見たからだと勘違いしていて、そのことについて祥子と話すこともできないままでした。したがって意思疎通ができないから自分は人間になれなかったのだと分析していることが独白によって明かされます。
「人間になりたい」という彼女の願望は当然社会性を持ちたいということになるのですが、もっと嚙み砕けば他人に自分の気持ちを伝えたいとも言い換えられます。
皆が自分に気持ちを伝えてくれているのに、自分が伝えられていないからコミュニケーションが取れていないんだ、だから他者との隙間を埋められないんだと彼女は思っているんです。
バンドを結成することも歌うことも彼女は他人に望まれてそうしていただけですが、そうして自らが言葉にしきれなかった思いを歌詞として歌うことで気持ちを伝えられたと認識していました。燈にとってバンドのボーカルであることは自己表現のために必要なものでした。
だから祥子は人間にしてくれた人であったし、そのバンドが解散したことで「人間になれなかった」と感じて、再結成にあたって一生続けることを要求するわけです。しかしそんな愛音たちとのバンドもばらばらになってしまったために「(人間になれないのならダンゴムシのように)ずっと石の下で隠れていたかった」(詩超絆の歌詞)と閉じこもります。
それでも彼女の思考は止まらないし言葉があふれ出している。それを言葉にせずにはいられないのもまた燈というキャラで、ノートに書いていくのでした。
ここの構成が素敵だなと思っていて、燈の思考を言葉にして語らせることで、彼女がここまでの物語においてどう捉えていたかを視聴者に提示します。
気持ちを伝えられなかったからバンドが再び壊れてしまったけれど、気持ちをどう伝えればいいのか分からない。どうすれば気持ちを伝えられるのだろう。そういった燈の悩みが本人のモノローグとして語られるので、そこからの燈の一見突飛な行動にも納得できるようになっています。
初華との出会い
プラネタリウム。
作られた夜空には、東京からは目視することが叶わないような星が映っています。燈は天文部ですが東京はおよそ夜空の観察に適した土地ではないでしょうし、それでプラネタリウムに通っているのでしょう。
隣の席に現れた初華。席の癖を把握していることからも燈はこのプラネタリウムに通っていることが窺えますね。
勢いよく倒れた座席によって顔と顔が至近距離で近づくのはファンサービスでもありますが、それだけじゃないと思います。
sumimiの初華ははじめ燈よりも高い位置にいますが、座席が倒れたことで目線の高さが同じになります。芸能人だとか関係なく、ただの初華と燈という同い年の女子二人の関係になっているんです。(知人の知人でもある)
プラネタリウムは作中で何度か出てきます。
燈の場合はCRYCHIC(クライシック)の回想でも登場していました。流れていたのは夏の大三角の映像。織姫と彦星が離れ離れになっているというのは、そのままCRYCHICとの関係を示唆しているものでしょう。
そして今回。作りものの星空は燈の独白にあるように「あるのに触れなくなってしまって、見えるのに無くなってしまっ」たものであり、それをプラネタリウム上映後に初華が東京の空にも見えないようで意外と星が見つかるんだと教えることで、燈が無くなってしまったと思っていたもの(=バンド)はまだ無くなっていないという気付きになります。
初華が言及するのは北極星。変わらない輝きです。
対して燈はその周りにあるこぐま座などを見つけていきます。これは(位置が)変わっていく輝きとも言えますし北極星の周りでぐるぐると回る迷子の星座とも取れます。私は前者派ですね。
燈が一度は破った「詩(し)」を、初華は「詩(うた)」みたいだと表現しました。そして燈に詩なら伝わるんじゃないかとヒントを与えます。
これは同じように燈の詩を歌詞だと解釈した祥子との対比にもなっています。立ち眩みを助けることで対比が分かりやすくなっていますね。
燈に自己表現の手段として歌うことを勧めるのは愛音もそうですが、バンドアニメにおいて歌うこと及びこのメンバーによってバンドが結成されたことに大きな意味を持たせるという点で、燈の歌詞(MyGOの歌詞)が叙情的である必然性が重視されているのは凄く素敵だなと感じています。
ちなみに初華が燈の立ち眩みを助けるのは階段から降りようとした燈を引き止めた意味もあって、これは9話で歩道橋の階段を降りていく燈を立希が引き止められなかったのとは対照的です。階段から降りるのはステージから降りることの比喩です。
さらに余談ですが、燈が愛音を追いかけるときも愛音がそよについていくときも階段を上っています。
また初華はこの時点ではまだ燈のことをCRYCHICのメンバーだと思っていたように見えるわけですが、どうなのでしょうか。
いずれにしても祥子に並々ならぬ感情を抱いていそうな初華が燈ら元CRYCHICのメンバーをどう思っているのかや、sumimiでは「世界は明るいよ」と歌っている初華がムジカでは「貴方が望むなら一緒に堕ちていこう」と歌っていることは、ムジカのアニメが楽しみになるところですね。
ひとつ、これは学びなのですが。
ここでの初華のセリフ「『歌』って伝わる気がするよね。上手に言えないことも、言葉以上に……気持ちが。」は倒置が使われていて、一般に倒置って強調の効果があるとされています。ただ今回感じたのは、強調だけでなく文末の助詞を変更する意味もあるのかなと。
上記セリフは「歌って言葉以上に気持ちが伝わる気がするよね」という構成から「言葉以上に気持ちが」を後ろに持ってきているわけですが、これによって文末が「~よね」という終助詞から「~が」という格助詞になっています。
こっちの方が濁音なこともあって刺さりやすいというか印象に残りやすいというか。初華のようなキャラは柔らかく投げかけるような言葉遣いをするものでしょうし、それであれば「~よね」という終助詞は避けられないものですが、倒置によって隠すことができるのかなと。
幕間・印象的なカット
今回も印象的なカットを取り上げていきます。
冒頭の信号のカット。赤信号が青信号に変わります。
このアニメ、1話の始まりと終わりにも信号のカットがあって、明らかに意識されています。
何度も登場してくる全てを確認できていないのですが、1話の始まりが赤信号から青信号に変わるシーンであり1話の最後は青信号であることからも、青信号の時はMyGOとしての未来に向かっているシーンであることが示されています。
このシーンでも燈の陰鬱なモノローグが流れているのですが、信号は赤から青に変わる。停滞ではなく迷いながらでも進んでいくという演出が好きです。そして進めば進むほどCRYCHICは遠ざかってしまうことにも一抹の切なさがあります。
授業の様子。イソップ寓話の【犬と肉】の話が書かれています。
これも作中劇にも意味があるという話の一例で、もう一度バンド活動ができると欲張ったがゆえに傷ついてしまったと嘆いている燈を表現しているわけですね。
渡り廊下を渡る燈を横からカメラで撮ったあとのカット。
鳥のいない巣に燈が向かっていきます。このあと(愛音のいない)天文部の部室に向かうことからも燈が1人の世界に引きこもっていることを表現しています。このカット、対比とか多分ウソをついているんですが、アニメはそれができるのが実写と違う良さですよね。
燈がライブを始めようとしているのを知ったシーン。
水を溢してしまいました。
液体はしばしば涙の比喩であり、ここでも燈から誘われていないショックがあると推察できます。立希はこの10話で語っていますが燈のことを理解しようとしつつも分かっていないんですよね。
この溢した水を自分で拭くところも立希は自分で自分の涙を拭っているということになり、冒頭のブラックコーヒーを飲んでいるところにも通じるものがあります。
楽奈に誘われて立希が参加するシーン。
立希は真面目さゆえに自他ともに厳しいタイプで、しかし自分が言ったことで相手が傷ついていることは理解できる女の子です。そのため相手を傷つけながら、相手を傷つけてしまったことで自分も傷ついてしまう不器用さがあります。
そんな彼女にとって何を言っても飄々としている楽奈というのは、ある種の救いです。楽奈は楽奈で自分を探して連れ戻してくれる立希はありがたい存在ですし、この二人のコンビはそれで成立させているんですよね。素敵な関係です。
燈と愛音のいる教室。
10話で3度登場するカットです。
始点を同じにすることで1度目と2度目と3度目の違いを明確にしており、編集点のような働きをしています。
アニメのコスト的な話で言えばこういったBG only(一面背景)なカットは負担の軽減になりますし、演出として機能させながら節約しているのは良いコンテですよね。
ライブシーン直前のカット。
愛音がそよにベースを渡した後にそっと触れるのですが、このアクションがあるだけで関係性が全然変わってきますよね。これは本当に素晴らしいというか、愛音というキャラには可愛らしさや図々しさや優しさという良さがありますが、こういったここ一番での格好良さもあるんですよ。
おそらくそよの企みによって最も傷ついたのは愛音ですが、その愛音がそよに対して怒ったりはしていないこと、もう許していることを言葉だけでなく言葉以上に行動で表現している。
そよにとって、間違いなく救いの手だったと思います。
最後はライブシーン中の楽奈。
他4人が泣いているなかで彼女だけは心底楽しそうで、ただ彼女もキャラの心象としてはバンドの復活を喜んでいるし、11話で語られるように感動しているわけです。だから涙の代わりに汗を流しています。涙の代理としての汗です。
楽奈というキャラは言葉があまり多くありません。出番も他キャラに比べると少ないですが、これは若干仕方がないところもあります。彼女は明確に一番の実力者ですし、バンドとしては楽奈と燈が主軸ですからね。強キャラなうえに個性も強烈な彼女は他キャラを食ってしまいかねないのでセーブされているのです。
しかし少ない描写にも魅力が詰まっていて、特にバンドを題材にしたアニメである以上は最大の見せ場となるライブシーンではあ、彼女に印象的なカットが用意されています。そしてそれを全面に押し出さないところにコンテの良さがあるなと感じますね。
自由な楽奈
このMyGOという作品は、向き合うことによる前進を描いています。
愛音と燈は過去から逃げていますし、立希とそよは追い詰められてどうしていいか分からなくなっています。
愛音には留学という失敗が、燈は気持ちを伝えられなかったという失敗が、そよはCRYCHICを忘れられなくて、立希は姉や祥子のようにやれなくて。
そうしてこの4人は迷子になっています。
しかし楽奈だけは帰る場所を無くしたために迷子になっているのであり、そのため彼女だけは自由に振る舞うことができます。アクションを起こした燈に対して真っ先に彼女が協力できたのもこうしたキャラ背景があるからですし、自由奔放なキャラの活かし方として納得できるものでした。
前述しているようにこの作品は基本的に暗く、彼女たちを照らすのはステージの照明です。燈と共にライブをすることで彼女は呼吸ができるのであり、帰る場所を失っていた楽奈にとって燈の朗読にあわせて点いた照明は道標なのでした。
見栄で始めた愛音、気持ちを伝えたい燈、CRYCHICを取り戻したいそよ、燈と一緒にやれたら良い立希よりも、バンドでのライブをやるということに最も強い理由を持っていたのが楽奈です。そんな彼女が立希に「ドラムやって」と頼むことも、愛音に「やっと来た」と言うことも、そよに準備していたベースを渡すことも、ある意味では自然な流れと言えるのかもしれません。
逃げる愛音、追いかける燈
燈が歌うことを決めたとき、最初に声をかけたのは愛音でした。
これが立希でないことが気になる人もいるようですが、私は特に感じませんでした。というのも、まず立希は他校の生徒ですし、何より燈に「また(バンドを)やれば良くない?」と再起を促したのは愛音です。それは人間になれなかったと打ちひしがれていた燈からすれば、お前は人間になってもいいんだ、まだ人間になれるんだと励まされたようなもの。だから燈は絶対に愛音を諦めません。
一度目、一緒にライブやってと告げられた愛音は「そよさん、どうすんの」と返して立ち去っていきます。
簡単に言ってしまうと愛音は拗ねているというか、まず愛音としてはバンドをやりたがっていた立場であり初ライブも彼女的には成功しているので、辞める理由はないし嫌いになってもいません。だからギターの練習だって続けています。
ただそよが戻らない限り、少なくともあのメンバーではバンドがもう上手くいかないのも事実で、だから「そよさん、どうすんの」となるわけです。燈に対して覚悟を見せろと言っているようなものですね。
声をかける場面では燈が上手で上から、愛音が下手で下からの構図。
燈は既に一歩前進しているので上手です。ここでは座っている(燈に見下ろされる高さにある)愛音が、二度目では立って同じ高さにいますからね。
また、教室の奥にある窓側の光に背を向けて去っていく愛音という構図でもあります。ここまで軽い発言の続いた愛音が拗ねて少し湿度のある態度をとっているのは可愛らしくも思えます。
二度目の頼み。立希も加わり段々と朗読が歌っぽくなってきたところで、燈はもう一度愛音に声を掛けます。睦に背中を押されてそよを連れ戻す覚悟もできたため今度は断られても強く迫りますが、愛音はそれも断って逃げてしまいます。
ここでの愛音は燈に正対しながら、一度その脇を通り過ぎてしまいます。向き合わなかったんです。
屋上で追い詰めて、三度目の頼みでようやく愛音は「燈ちゃんのせいだよ」とバンドに戻ることを了承します。ここでは向き合ったことで、愛音もついに前に進むわけです。
余談ですがこれは三顧の礼ですよね。中国史ファンなので興奮しました。
あえて二人の距離を比較できるように横からのカメラを引いて、燈の方がズケズケと愛音の領域に踏み込んでいるのを分かりやすくしています。必死さが伝わってきます。
ここでも空は曇天。
バラバラになった仲間達を呼び戻してバンドが復活する気持ち良い展開なのですから空から光が差したり雨が晴れて虹が架かってもいいものですが、笑ってしまうほどのドン曇り。先に書いたように、彼女たちを照らすのは太陽の光ではないからですね。
向き合ってしまうそよ、向き合わせた愛音たち
春日影によってCRYCHIC解散という事実に向き合ってしまった祥子が泣きながら走り去ったのが7話。そうして前進して覚悟を決めた祥子が、これまで避けてきたそよに向かい合ってCRYCHICは過去のものだと突きつけるのが8話。それによってそよが絶望して立希に今まで騙していたんだと本音を語るのが9話。
この流れから10話において最も重要なのは、そよに燈たちのバンドと向き合わせることだったのだと言えます。
その最重要任務に切り込んだのは、愛音でした。
「そよさん、どうすんの」と燈に言っていた愛音でしたが、結局のところ燈は歌(詩)で気持ちを伝えることはできても、自分の歌を聞いてくれと相手をライブハウスに呼んだりするようなことは苦手としているので、その役目をやってあげるわけです。
愛音なしでも一人で行動して朗読という形ながら成功させた、そのうえで「愛音ちゃん要るよ!」と誘ったことでもう十分に燈の覚悟は理解していたんですね。
三度目の頼みで首肯したのは、やはり三顧の礼だったのでしょう。身体能力が燈より愛音の方が高い(というか燈が低い)ことは6話で描写されていますし、愛音は「しつこい」なんて言いながら振り切るつもりなんかなかったんです。
さて、話を戻します。
なかなか向き合おうとはしないそよに、愛音は家までついていきました。追い返すこともできるのに家の中に入れてしまうあたりはそよの本来の優しい性格や育ちの良さが出てしまっており、それは終ぞ家には入れずに公園で拒絶した祥子との違いですね。(祥子の性格が悪いという話ではなく、そよは悪になりきれていないという話です)
家に入って早速「生活感ゼロじゃん。まさか一人暮らしとか?」とシングルマザーであるそよの地雷を踏みぬく愛音は絶好調。悪気はないんですけどね。この時点でそよはちょっとイラッとしてそうです(笑)。
そよに紅茶を出された愛音は、その香りから最初に会ったとき(2話)にそよに勧められてお揃いで飲んだものだと気づきます。
そよは愛音が燈の名前を出すまでは善意で接していたんですよね。立希と接点を持ち続けようという狙いはあったかもしれませんが、面倒そうにしながらも愛音には付き合ってあげていた。紅茶の味の好みが本性を表した今と同じだということがあの時の善意も本物だったことを示していて、それが愛音としても視聴者としてもそよを許せる理由にしている素敵な脚本です。
愛音に挑発されて「終わらせる」ためにライブ会場に足を運んだそよは、燈と愛音によってステージに引っ張り上げられてメンバー全員と向き合うことになります。向き合うことによる前進はここで完成して、ようやくバンドが復活しました。
即興で演奏された歌のタイトルは詩超絆(うたことば)。
相変わらずに当て字にしても限度があるだろうというタイトルですが、しかし本当に良いタイトル、曲、歌詞です。このアニメにおいて最も勝負するタイミングである10話の山場に持ってくるだけある歌ですよね。
ここにおいて、そよは「私が終わらせてあげる」と凄んでいた割にはノープランで現れたように見えますが、これも祥子を参考にしているんですよね。
祥子が燈たちの春日影を聴いて背を向けたことでCRYCHICは本当の意味で終わってしまった。だから燈たちのパフォーマンスを見て歌を聴いた上で背を向けて立ち去ることが、そよにとって「終わらせる」ことだったのだと思います。
万感の……
これまで9話にわたって、なんなら10話の途中まで見せられてきた苦しい展開が、バンドアニメらしく最高の曲で晴らされる。
私はワンピース(漫画)の信者なので、こういう溜めて溜めて弾けさせる構成は大好きです。そよがCRYCHICの崩壊を受け入れられずにこれまできっと流せていなかった涙をようやく流せる、このこぼれ落ちた一雫が美しい。
表情を一生懸命作っていたそよが子どものように(高校生ですが)泣きじゃくるのは彼女が救われたことを視聴者にも感じさせますし、頑張って大人になろうとしていた女の子を子どもに引き戻すという意味ではバンドリ1期の彩綾にも通ずるところがありました。
そよにとって燈や愛音が見捨てずにいてくれたことは幸運なことだと思いますし、しかしそんな愛音と燈もそよの協力無くしてバンド結成には至っていなかったのであり、その思惑は別としても彼女たち5人はお互いがお互いを救っていた関係にあります。
誰かが誰かを助けるような話ではなく迷子になりながら一緒に進んでいくというコンセプトにあった物語でした。
おわりに
MyGOというアニメを作るにあたって、全体の半分ほどで一度成功を挟んでから挫折させて復活させるような構成も考えられたはずです。
しかしそうはせずに、7話でライブを成功させても7話のうちにそよに叫ばせて、清々しく終わらせない。成功を感じられるのも碧天伴走だけで、すぐMCから春日影に入って不穏になりますからね。
ほとんどずっと暗い話を見せられてきたなかで、ステージに5人が揃って照明が画面をカッと明るく照らす演出は、とても気分の良いものでした。
少女たちのアニメとしてはほんの少し行き過ぎてるくらいの描写をしつつ許容できるギリギリで止めているヘイト管理も素晴らしいですし、そうして攻めて限界まで溜めたからこその山場の盛り上がりは、私はアニメの歴史に残るクオリティであったと思います。
主要スタッフ(敬称略)
監督 | 柿本広大 |
シリーズ構成 | 綾奈ゆにこ |
脚本 | 後藤みどり |
絵コンテ | 梅津朋美 |
演出 | 梅津朋美 |
コンテ演出の梅津朋美さん、アニメwiki見る限りだと編集出身なんですかね。モルフォニカのやつで監督をやっていたりバンドリシリーズは本家2期からの付き合いみたいですが、迷子では7話と10話のコンテ演出を担当しているとは相当実力が買われているのでしょうか。
監督の柿本さんは3Dになってからのバンドリアニメのほか刀使ノ巫女の監督もやっていらっしゃっていて、私はあのアニメも好きなんですよね。
クオリティが高いとは言い難い作品なんですが、構成がすごく良いですし、2期のOPなんてほぼ本編原画の流用なのにめちゃくちゃオシャレです。CGの動きも良いし、あれは良いアニメでした。
最後に。
アニメ本筋とは関係ないですが、このアニメのシリーズ構成である綾奈ゆにこ先生とユーフォで有名な武田綾乃先生の対談記事が無料で公開されていて、とても面白いです。興味ある方はこちらをぜひ読んでみてください。
あまり創作において性別の話をするのは好きではないですが、女性作家から見た女子の物語というのは勉強にもなりました。
それではムジカのアニメを楽しみにしつつ、さようなら。
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