ウォシュレットによる尊厳破壊

ずっと気になっているのだが、人はどんな姿勢で洋式の便座に座るのだろうか。

おそらくは私は一般的な姿勢で腰掛けていると思うし、私の身体もまた一般的なものであると思う。

人と肛門の位置がズレているなんてことは、ないと思う。

思うのだが……。


実家のトイレに、ウォシュレットの機能はなかった。

小学校のトイレにも中学校のトイレにもなかった。たぶん高校にもなかったと思う。

だから、たまに友達の家に入ってウォシュレット付きのトイレだったりすると、お金持ちだなぁと思っていた。

そして自分はそれを使うべきではないのだと思い、我慢していた。

私がウォシュレットを使うようになったのは、高校を卒業してからだった。

初めての時は感動した。

まず、便座が温かい。これだけで大いに助かる。

お腹が緩まっているというのに、腰掛けた便座が冷たくてお尻に力が入ってしまい、排便に苦労する。
そんな経験は人生で何度もあった。というか今でもある。

温かくない便座だと、座る時に覚悟が必要になる。

それから、気持ちが良い。

あまり詳しくは書かないが、おそらく私は一般的な男性よりはお尻への刺激は鋭く感じるのだと思っている。
もちろん快感は指数にできないし、頭に機器を取り付けて何かを計測したわけではない。
ただまぁ、たぶん人よりは敏感だ。

だから初めての瞬間は、某お風呂漫画ではないが、声が出た。
それくらいの驚きと悦びだった。

そして、ウォシュレットを使うと綺麗になる。
あとトイレットペーパーで拭いても痛くない。

高校時代の友人が、ウォシュレットのないトイレは嫌だと言っていた。

すっかりあの装置に飼いならされてしまった今の私もまったくの同意見だ。
ウォシュレットがあるかないかは、トイレにおいてかなり重要なポイントになっている。

ウォシュレットは良いものだと思う。

非常にありがたい。

だがひとつだけ。ひとつだけ気になることは。

私のお尻には、水が絶対に一発で当たらないのだ。

私は探求した。

どういう姿勢ならいいのか。浅く座ればいいのか、その逆か。

毎回、これなら当たるかなと調節してからボタンを押す。

そして、当たらない。

当たるように座りなおして、もう一度ボタンを押す。

毎回毎回その手間がかかり、ウォシュレットで濡れた部分を拭く手間も大きくなる。

私のいったい何が悪いのか。それは今でも分かっていない。

当たらないだけならまだいい。

困ったことに、「ビデ」を押すと当たる。

これはもう、ほぼ確実に当たる。

どういうことなのか。

ビデというボタンの意味は、大学中退の私でも知っている。

成人男性が排便後にお尻を清潔にするために使うボタンではないだろう。

では、なぜビデで当たる?

私は女性なのか? いや違う。女性だって当たらないはずだ。

どうしてビデなら毎回当たるのか、さっぱり分からない。

この経験、私以外にも共感してくれる人はいるだろうか。

きっといるはずだ。そして言えなくて困っているだろう。

そりゃそうだ。「私のお尻の構造は皆さんと違います。そうでなければ大便する際の姿勢がマイナーです」などと宣言しているようなものだからだ。

でもそれでいい。私達は何も悪くない。

誰も悪くない。ただどうしても当たらないだけなのだ。

もし当たらなくて悩んでいる人がいたら「ビデ」を押してみてくれと言ってあげてほしい。

もしかしたら、それで当たるかもしれない。

もしビデでも当たらないのなら、それはもうその人のお尻の構造に問題があるとしか思えないのでお医者さんに相談しなさい。

25歳男性の私は、トイレに行くと一切の迷いなく「ビデ」を押している。

もう躊躇いはない。

座る位置の調整もしない。

「おしり」を押してみたりもしない。

初手から「ビデ」だ。そしてそれで事が済む。

しかしこの前、トイレから出てふと思った。これは尊厳破壊ではないかと。

私は通常であれば肛門を洗浄する際に押すボタンには見向きもくれず、その隣にあるカタカナ二文字のボタンを押している。

それが私にとっては日常であり通常になっている。

私はお尻の形がおかしいです。便座への座り方がおかしいです。

そういう認識を、認めさせられている。

それってすごく、「ウォシュレットによる尊厳破壊」ではないだろうか。

破壊されているのは、お尻の方かもしれないが。

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