今までインプットをおざなりにして生きてきたことを反省し、アニメや映画やラノベを見てブログに感想と学びを書いていこうと思い立ちました。
そうして始まった【感想と学び】シリーズの31作目、映画【虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 完結編 第二章】を書いていきます。
ネタバレもちろんあります。作品の説明は最低限にしかしません。
※なお過去に虹ヶ咲の記事を書いておりますので、よければこちらもどうぞ
簡単な紹介
アニガサキシリーズの映画。3部作構成の2作目であり、同好会のアイドル12人のうち第一章に登場していなかった6人がメイン。
スクールアイドルグランプリという投票制の大会に向けて関西に行っているせつ菜、愛、果林、ミア、璃奈、栞子の6人が活動していく。
果林以外の5人のライブ、ミアの姉の登場による過去の挫折との対面、限られた期間の存在であるスクールアイドルの時間との向き合い方などが描かれる。
テーマとしてのフレーム
今回、直接的なキーワードは「終わらない」だったわけですが、その中でのテーマとしてフレーム(枠組み)がありました。
「スクールアイドル」は一つの属性であり、規格。その特徴として学生の間だけやることができるという儚さがあり、学生同士だからこその連帯感もある。何より学生が多彩な形で自己表現するという自由がある。
スクールアイドルになることで「テイラー家」というフレームから解放され歌えるようになったミア、スクールアイドルである「優木せつ菜」というフレームに入ることで自由に表現してきたせつ菜(菜々)。
その2人に対して改めて、しかしそのスクールアイドルもまたフレームなのだと突き付けるというのが作中におけるメインの事件です。
それぞれの問題解決に動くのは璃奈と愛。果林はミアの姉に接触することで璃奈をアシストし、栞子は愛の背中を押してアシストします。
この組み合わせにもアニメからのストーリーにおける連動性があって、果林も栞子もスクールアイドルの儚さという問題は既に2期で乗り越えているんですよね。
栞子の成長と果林の強さ
スクールアイドルではなくなってしまってもスクールアイドルだった頃の輝きは残る。それを果林と栞子は知っていて、特に栞子は姉の薫子の輝きにあてられてスクールアイドルに憧れたキャラであり、それはまさしくスクールアイドルによる継承だったわけですね。スクールアイドル三船薫子の放った輝きは薫子の中で今でも生きているし栞子の中にも生きている。
これが最初の栞子のMVにも表現されているんです。
栞子が卵を孵化させると中から栞子が現れ、彼女は服を脱ぎすて自由に羽ばたく鳳凰となるのですが、最後にその鳳凰の羽が本に挟まって栞のようになっています。
補足すると、栞子の2期における担当曲”EMOTION”のMVで栞子は本に挟まっている鳥の羽のページを開き、そこにある鍵を使って時計の針を進める(スクールアイドルに成る)んです。
したがってこれを解釈すると、栞子自身が薫子の輝きにあてられてスクールアイドルになったように、栞子の輝きがまた別の誰かを鍵へと導いているということ。
そして栞子から栞子が生まれていることは、自らの過去と未来(スクールアイドルになる前後)のなかで栞子は生まれ変わっているけれど、どちらも栞子だという一貫性、そしてその中での変化を栞子本人が肯定的に受け止めているということも同時に示しているんです。ライブ後のセリフでも言及されています。
開始10分足らずなんですが、ここでもう栞子が答えを提示しているんですよ。私はこういう構成が本当に好きで、スクールアイドルというフレームがテーマなんだと中盤で気づいたときに感動しました。シリアスな会話をしているシーンで泣き始めたから周りの人にはなんだコイツって思われたかも。
冒頭で答えを提示した栞子と裏からのサポートに徹した果林は悩める当事者に直接アプローチしない。この連動性があるうえで語りたいのは、直接的にアプローチしないことの強さです。
例えば誰かが落ち込んでいるときに、自分の中にはその人にかける言葉が見つかっていたとして、しかし本人に直接伝えないって凄く勇気がいることだと思うんです。だってそれでうまくいくかは分からないのだから。
この人なら大丈夫だろうという大きな信頼と、相手の立場に立って考えられる優しさがないと出来ない選択だと思います。
果林って1期3話からずっとこういう強さを持っているキャラで、基本的に間接的なアプローチをしてくれるんです。これは心の動きをそのまま表出させることが多いメンバーの中で彼女が持っている特徴でもあります。アニメ2期4話における美里へ直接対話しようとする愛を引き留めるシーンでも明確に表現されていました。
今回も彼女だからできるアクションですごく良かったです。第一章では彼女と同じくライブのないかすみがランジュママに接触していましたが、彼女は彼女らしい利己的な動機だったわけですよね。それに対して果林はミアのために動いているのであって、この違いもキャラの特徴が出てて良いなぁって対比を楽しめました。
気づいて 小さな声
作中で、ミアとせつ菜はスクールアイドルというフレームを剝ぎ取られてしまいます。姉の登場とアプリのサーバー落ちによってです。まずミアの話をしましょう。
歌手である姉クロエが用意したゴシックな服に着替えることで、ミアはテイラー家のミアに戻されてしまいます。あの服はおそらくテイラー家ではミアはああいう服を着ていたということなのでしょう。
テイラー家というフレームに戻ることで歌えなくなってしまったミア。それはさながら鳥かごに戻され羽ばたけなくなった鳥ですが、そんなミアのために璃奈は背中を押す歌を歌います。
ところが璃奈にとってミアとの別れは本心では望まないものでした。だから彼女は仮面であるところのボードを改造して「天王寺璃奈」ではない存在として歌うことにします。璃奈として歌うことはできないからです。元のボードだと本心が伝わってしまうからですね。
※余談ですがALAN(アラン)は彼女が飼っているネコ型ロボットの名前です。
璃奈のボードは表情が見えない(隠している)仮面ですが、そのボードを伝えるための仮面として登場させる反転が1期6話にて描写されていました。
しかし今回は本心を伝えないためにボードを用いた。ボードという彼女の仮面、その意味の反転の反転があったわけです。
それでも、ミアは璃奈の歌を聴いてかえって彼女と離れたくないという気持ちを強くするのでした。歌詞にはない璃奈の思いを感じ取って、彼女が行きたがっていた場所に向かいます。そこは1人で落ち着ける静かな場所でした。
これね、スクスタ22章「気づいて 小さな声」の切り返しだと思うんですよ。いやライターさんが意図したかは知りませんよ。たまたまかもしれない。でも私はもう上映中から「これスクスタ22章じゃん!!!」ってなってました。
スクスタ22章を知らない人に説明すると、それまでは失敗によって歌うことから逃げて作曲家として活動していたミアは持ち前の技術をもってバズる曲を量産していたのに、あなたちゃんの未熟なはずの曲を歌うしずくのパフォーマンスを見てから自分の楽曲に物足りなさを感じてスクールアイドル部(同好会とは違う)に提供する楽曲を作れなくなってしまい、逃げるように失踪したミアをみんなで探すという流れがありました。
そして見つけた璃奈がミアに語り掛けます。
「ミアの歌にはソフトを使わないと分からないような音までこだわりがあって、そこに音楽を愛するミアの心が宿っている。ミアの曲だって技術だけで書いたものじゃない」
「気づいて 小さな声」は章題ですが、曲の中に隠されているミアの声に璃奈が気付くという回だったのです。私はこの話がすごく好きで、機械に強い璃奈と高いプライドを持って音楽に向き合っているミアの特徴が反映されていて印象的だったんですよね。
そして今回の映画では璃奈が歌った歌詞にはない「声」に気づいてミアが決意を固める。専門性が高いこの2人だからこその形で双方向性をまた一つ補強するエピソードに仕上がっているのが素晴らしいなと感じました。
せつ菜を意識していた愛
多くの人に叩かれ大炎上したスクスタ2ndシーズンの話を性懲りもなくまたするのですが、愛さんってスクスタではせつ菜とライブパフォーマンスの勝負をしているんです。
愛が企画したトーナメント形式のバトルで、愛は1回戦で璃奈に勝ち2回戦でせつ菜へ挑むのですが、その時に愛は「ずっとせつ菜と戦いたかった」と語るのです。この背景をライターさんが知っていたか偶然なのかは知りませんが、愛もせつ菜を強く意識していたキャラ設定が(スクスタには)あったんですよ。
こういう挑戦者のパーソナリティって同好会内では果林が最も担っているものではあるんですけど、部室棟のヒーローである愛もまた勝負に対しては熱いものを持っているんですよね。DiverDivaってそんな2人がバチバチ高め合うユニットなんですよ。
スクールアイドルになった経緯も関わっています。虹ヶ咲のアイドルたちがスクールアイドル同好会に入った理由やきっかけは、大半のキャラがせつ菜を起点としています。
歩夢と侑は1話のせつ菜のライブを見たからですし、エマと彼方としずくはせつ菜に惹かれて同好会に入部していますし、璃奈と愛は3話のせつ菜のライブを見て入部を決意します。果林もスクールアイドルを意識したのは3話のせつ菜のライブを見たからだという描写があります。
ただ、かすみは違います。スクフェス組である転校生(という設定はぼやけていますが)の3人と違い、かすみはスクスタのオリジナルキャラです。せつ菜に惹かれたわけでなく【かわいい】を表現するためにスクールアイドルを始めています。言わば【かわいい】の求道者です。ここでもかすみはせつ菜を必要としないことが分かります。
そうだ、神回を見よう ~ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会1期2話~
1期2話のブログで上記のように書いたのですが、愛もまたせつ菜の輝きを見てスクールアイドルを目指したんですよね。
愛のスクールアイドルとしてのモットーは「私がみんなからもらった楽しいをみんなにもあげる」ですが、愛は貰ったものを返したいっていう優しさが根底にあって、内気だった彼女が優しいギャルになったのも美里が自分に優しくしてくれたことを受けてなんですよね。
そして今回、あの日せつ菜の見せた輝きをせつ菜に返します。
ライブシーンにおける衣装、そしてお互いの歌にお互いがコーラスとして参加し(掛け声はめっちゃGoing!!とChase由来と思います)、その口上も交換して強調しています。
優木せつ菜というヒーロー
愛がせつ菜(菜々)に声をかけるとき、「キミ」という呼称を用いるのも彼女の優しさと脚本の丁寧さを感じました。
グランプリの中断によってステージを奪われ疑似的にスクールアイドルとしてのフレームを奪われてしまったせつ菜は、強制的にせつ菜から菜々に戻されてしまい自分ではどうもできないと途方に暮れていました。
優木せつ菜というフレームすら奪われてしまった彼女は眼鏡(菜々の仮面)をかけて菜々になっているわけですが、愛がそんな彼女に「菜々」ではなく「キミ」と声をかけているのは、スクールアイドル優木せつ菜を自らと別離した存在と捉えている菜々に対して、菜々と声をかけたら目の前の女性が(菜々が自らをそう捉えている)菜々だと認めてしまうからです。
菜々が菜々だと思っている今の状態にもせつ菜は生きている。だから語り掛ける対象であるところの菜々は菜々自身が菜々だと思っている菜々ではないんです。菜々が捉えている菜々とせつ菜のグラデーション。その存在に対して声をかけているから「キミを見ていた」なんです。
この「見ていた」も愛らしいなと思います。愛のこのアプローチって一貫していて、愛って前述したように自分がもらったものを自分もあげるが根底にあるから、常に相手と同じ目線に立っているんですよ。
「キミを見ていた」によって、愛はキミ(菜々)の世界にまず自分もいることを伝えるんです。大前提として相手と同一平面上に自らを存在させるという愛の切り出し方って璃奈に対してもまず目線を合わせていることから伺えますよね。今回ホテルでミアを心配するシーンでも目線の高さを合わせてる。
愛の中にはずっとおばあちゃんがいるし美里がいるんです。だから愛も相手の中に自分がいてあげたいと思っている。そういう彼女だからこその切り出し方として「キミを見ていた」なのがめちゃくちゃ良かったんですよね。そのあと眼鏡を外してせつ菜にも自らを見せるのも凄く良い。
眼鏡という仮面があっても菜々の中にせつ菜を見ていたと言われて奮起するせつ菜も好きです。それは彼女の中のせつ菜的な部分で、このせつ菜へと変身するのは1期2期とやってきた彼女の十八番演出ですが、これがまた彼女の憧れであるヒーローらしいなと思うんです。
せつ菜の1期担当回のタイトル「大好きを叫ぶ」にもあるように、優木せつ菜とは大好きを叫ぶスクールアイドル。だから大好きを叫ぶことで菜々はせつ菜になってきたわけですが、今回のライブシーンにおける口上で愛が「大好き」を叫ぶことで、彼女はあのときのせつ菜になったんですよ。
あのときのせつ菜のように展望から顔を出す形で大好きを叫んだ彼女は、彼女がせつ菜からもらったものを見ているみんなへとあげているんです。強く惹きつける存在としての優木せつ菜に愛も並んでいるわけで、本当に胸熱でした。
どこにいても
せつ菜のMVは、スクールアイドル優木せつ菜の誕生と消失を表現した者でした。
彼女が練習しせつ菜になっていく、そのスクールアイドルの輝きは流星のように燃え消えていく儚いものだけれど、愛を中心に見る者の目に焼き付けていく。
スクールアイドルとしてのせつ菜はやがて卒業し引退しいなくなってしまう存在だけれど、せつ菜がいなくなっても菜々の中にせつ菜は生きていくし、愛の中にも生きていくんです。
どこにいても君は君。ミアはテイラー家だろうとスクールアイドルだろうとミアであり、「キミ」は菜々であろうとせつ菜であろうと「キミ」であり続ける。フレームという枠組みに閉じ込められない一貫している本質を見つめる、素晴らしいテーマとシナリオでした。
繰り返しになりますが、このアンサーを栞子と果林は劇中の早い段階で言及していて、特にその栞子の成長が泣けるんですよね……。
エマ・ヴェルデの特異性
今回の第二章を経て、残りライブをしていないのはかすみと果林だけになりました。三章ではおそらくこの部長と”部外者のお姉さん”のソロライブ、および全体曲のライブがあるのだと思いますが、そうなるとエマだけがソロでなくコラボなんですよ。(推測)
これって強烈な個で、エマさんだからこそ。
このエマの特異性はこれまでの作中でも表現されています。
このアニメではステージに関しての表現を大切にしています。
1話の歩夢は階段を上がって歌います。それは侑だけが観客の彼女のステージ。1話のせつ菜は歌い終わった後に階段を上って去っていきます。これはせつ菜はステージを降りてはいないという演出です。3話のせつ菜がエスカレーターを登るシーンでは、菜々として登ることに意味があります。
とまぁそんな感じでかすみもステージに上がるわけです。この段差でかすみは表現者となり歩夢と侑は観覧者になります。かすみはここでようやくスクールアイドルとなります。
そうだ、神回を見よう ~ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会1期2話~
演者と観客を意識した構成が組まれていて、別格のせつ菜は別として歩夢の客は侑1人、かすみの時は歩夢と侑の2人。4話の愛は公園で、6話の璃奈はミニステージ、7話の彼方は特設ステージ、8話のしずくは劇場、9話の果林はフェス。
だんだん観客が増えて規模が大きくなっているんです。せつ菜と果林の誇張しない強キャラ表現が好きだという話もしたいんですがここではやめておくとして。
2期で登場するランジュも栞子もミアも複数人の前でパフォーマンスしていますよね。でもエマだけは果林ただ1人の前で歌うんです。
スイスの地からやってきた心優しき少女が持っている圧倒的なマンツーマン適性。ランジュとの向き合い方然り、エマにおける相手と向き合うということの比重は同好会でも抜けていて、だから彼女だけがコラボしている。
この表現も嬉しかった。映画館からの帰り道で「エマさんだけコラボだったんだよなぁ」と思ったときに、すごく嬉しくなりました。彼女のそういうパーソナリティを改めて感じられてよかったです。
その他 良かったポイント
璃奈とミアの「なんでもなくなさそう」が良かったです。
もともと「なんでもない」は1期6話で璃奈も用いていた言葉なんですよね。拒絶の言葉なんです。
それに対して「なんでもなくなさそう」って、これは拒絶に対しての推測。何かを察する言葉なんですが、言葉としては否定の否定。反転の反転である演出に対して否定の否定をキーワードにするのが美しい。
そしてこの察する言葉って本来は一方的なものなのに、最終的に一方的でない分かり切ったものの共有として使われるのが、おしゃれでした。
ミアの「家族に甘えるよ」も好きです。
まだ未成年の女の子が、家族のもとに戻るのではなく許しを得て独立して活動することを「甘え」と表現する聡さ。要求を呑んでもらい支えてもらわないことを甘えと捉えているのが凄く良い。
ミアの大人びている良さが僅かな単語ににじみ出ていて、このアニガサキのシナリオの丁寧さを象徴するセリフだったなと思います。
そして最後に協力を呼びかけるのはせつ菜の発案なんですよね。これも良かった。
2期6話で自分で限界を感じて諦めていたせつ菜。彼女ってちょっと独善的なところがあって(1期の解散においても彼女なりの考えがあるとはいえ無断ですし)、でも今回は彼女からみんなへの協力を呼び掛けている。
仲間の力を頼れるようになったせつ菜の成長。感動。
感想
1期のころとか、具体的には10話の合宿回でのワンシーンもあって「2年生って侑がいなかったらあんまり話してなさそう」とか「愛さんって1年生といるときの方が楽しそう」とか言われていた時代もあったんですよ。
でもその頃から僕らって「いや愛さんの中でもせつ菜って大きい存在なんだぞ」と語っていたわけですよね。それが今回こんな形で報われて、感動でした。
私は予告とかほぼ見ていなかったので第二章での組み合わせは「ミア&璃奈」「栞子&せつ菜」「愛&果林」なのかなと思っていたんですが、いやぁ嬉しい形で外してくれたなと。
そして最後に語りたいのは、MVが良い。
特にせつ菜のMVがめちゃくちゃ好きですね。ランジュのMVと同じくらい好き。最高でした。
次は第三章ということで最後の最後になってしまうわけですけど、もともと2期もOVAも劇場版も正直期待していなかったので、寂しくはありますが悲しい気持ちより嬉しい気持ちの方が大きいです。
残りのMVも本当に楽しみなので、明るい気持ちで第三章を待ちたいと思います。
