名勝負で語る競馬② 〜サイテーションvsヌーア〜

「20世紀のアメリカ名馬100選」をご存知でしょうか。

米国の競馬誌ブラッドホースが独断と偏見で選定したものだそうですが、概ね不満の少ない内容になっており米国競馬を語るにあたってしばしば紹介されるものとなっています。

その100選における第1位はベーブ・ルースと並んで米国黄金期を象徴するMan O’ War(マンノウォー)。第2位は凄まじいレコードを記録した三冠馬Secretariat(セクレタリアト)

この日本でも広く知られた2頭に次ぐ第3位に挙げられているのが、今回の主役となる史上初の100万ドルホースです。

極めて高い能力を持った名馬が、もし早期引退せずに怪我しても走り続けたなら……。

人の欲のため限界を超えて走り続ける三冠馬に、新時代の光が射してくる。

限界ギリギリの激闘を繰り広げた2頭について語ります。


8頭目の三冠馬 Citation

時は1945年。まだ第二次世界大戦が続いている時期に米国名門牧場カルメットファームでその馬は誕生しました。名はCitation(サイテーション)

父は初年度から名馬Armed(アームド)を輩出したTeddy(テディ)系の大種牡馬Bull Lea(ブルリー)、母父には言わずと知れた小さな太陽神Hyperion(ハイペリオン)。牝系は祖母に英オークス馬Toboggan(トボガン)を持ち、そのTobogganは従兄弟にColorado(コロラド)がいるわけですから、良血と言えるものでした。

2歳でデビューすると9戦8勝で最優秀2歳牡馬に。唯一の負けは(おそらく)ヤラズで、彼の才能は抜けていました。

続く3歳ではまさに三冠すらも通過点と言わんばかりの連勝劇。叩きの叩きが重馬場になり無理せず流した1戦(2着)を除くと、驚愕の20戦19勝。うちステークス競走17勝という圧倒的な記録を打ち立てました。この記録は現在も、そして今後も破られることはないでしょう。

またCitationの故障明け5歳の1勝を含めた16連勝という記録は長らく米国馬の試練として立ちはだかり、現在でこそ怪物追込牝馬Zenyatta(ゼニヤッタ)らに破られていますが、Citationの時代から約50年経つ1996年にCigar(シガー)がようやく並べたほどでした。

余談ですがCigarが16連勝目をあげたレースの名は「Arlington Citation Challenge(アーリントン サイテーション チャレンジ)」。文字通りCitationが持つ記録への挑戦として総額100万ドルを超えるレースが企画されたことは、まさしくCitationという馬がどれほど大きな存在であるかを物語っています。
なおCigarは次戦で負けており、Citationとタイ記録の16連勝です。

彼の年間20戦19勝というのは、尋常でないタフさでした。

2月に南東フロリダ州で4戦。
4月に北東メリーランド州で2戦。
4月末にはケンタッキー州に移動してトライアルとダービー本番の2戦。
2週間後の5月半ばにメリーランド州でプリークネスSの1戦。
2週間後の5月末にニュージャージー州で1戦。
2週間後の6月半ばにニューヨーク州でベルモントSの1戦。
翌7月には中西部イリノイ州で1戦。
8月もイリノイ州で2戦。
9月末に北東部に移動して10月末までの1か月で4戦。(※最後の1戦は単走)
12月に西海岸カリフォルニア州で2戦。

1年のうちに東西南北7つの州の10個の競馬場を駆け回る。こんなローテでも勝ち続けるのは異常としか言えません。他はまだしも最後12月に西海岸に行くのは完全に余計でしょう。テイエムオペラオーのステイヤーズSが可愛く見えるくらいです。

ちなみに同じカルメットファームの先輩三冠馬Whirlaway(ワーラウェイ)は3歳時に19戦していますが13勝。2歳上の三冠馬Assault(アソールト)で3歳時15戦8勝。約25歳後輩のSecretariatで3歳時12戦9勝。30歳後輩のAffirmed(アファームド)で3歳時11戦8勝。

歴代3冠馬でさえこの功績。同世代で抜けた実力を持つ馬といえども10戦以上して勝ち続けることは難しいのです。勝ち続けた彼は立派ですが、さしもの彼も生き物なのでガタが来てしまい、4歳は丸ごと休養することになってしまいました。

良血で最強の三冠馬なんて、この休養が決まった時点で普通は引退します。

ただ、そうはなりませんでした。彼は既に最高の栄誉と最強の称号を手にしておきながら、怪我を治してまで5歳でも現役続行することになります。

欧州からの来訪者 Noor

Citationと同じく1945年に、こちらは愛国で生産された馬がNoor(ヌーア)

その名前はアラビア語のنور(ヌール)を指し、意味は「光」。様々な場面で良い方向に使われるアラブ人にとって良いニュアンスの言葉だということで、日本人的には輝や美や照に近いのかもしれません。

英国でデビューして2000ギニーは大敗。しかしダービーは32頭立て3着と好走。続くエクリプスSでは1番人気に押され3着、その後セントレジャーこそ大敗しますがステークス競走を2勝。少しずつ輝き始めていました。

その中で米国に移籍することが決まります。購入者チャールズ・スチュワート・ハワードは僅かなお金をもとに西海岸に移り自動車「ビュイック」を売り込んで成り上がった人物で、競馬的にはアイドルホースSeabiscuit(シービスケット)を拾い上げたことで有名です。

さて米国に移籍した本馬は3歳秋以降1年ぶりとなる移籍初戦こそ勝利したものの、10月から暮れまで走って2勝利目をあげられず、4歳時6戦1勝で年を跨ぐことになりました。

明けて1月の5歳初戦は前年ハリウッド金杯などを勝利していた実力馬に1馬身迫る好走。続く2月のレースでは3着になりますが、彼に先着したのは前走で3着に破った前年のダービー馬Ponder(ポンダー)と当代の最強馬だけ。

このときが初顔合わせとなったその最強馬こそ、2年前の三冠馬Citationでした。

激闘!世界最速の決戦!~前編~

同い年の2頭が初対戦してから2週間後、5歳の2月末。サンタアニタH(D10F)が2戦目となりました。

現代まで格式高く保っている西海岸のハンデ競走は10年前にSeabiscuitも引退レースに選んだ大レースであり、2頭の他にも上述の前年ダービー馬Ponderや、前年7戦6勝で最優秀3歳牝馬に選ばれ引退後は母として2冠馬Tim Tam(ティムタム)を産むTwo Lea(トゥーリー)などもいました。

この豪華メンツの中で最重量となったのは当然Citation。彼は132ポンド(約60kg)の斤量を背負って走り、そして110ポンド(約50kg)の軽斤量だったNoorに1&1/4馬身差の2着となりました。

1着Noorの時計は2:00.0。これは10年前Seabiscuitの記録した2:01.2を1秒以上更新するコースレコードで、Round Table(ラウンドテーブル)が更新するまで8年更新されませんでした。
(ちなみにNoorが110ポンドだったのに対してRound Tableは130ポンドだから化け物すぎる)

3戦目となったサンファンカピストラーノH(D14F)ではCitationが130ポンド(約59kg)、Noorが117ポンド(約53kg)。差こそ縮まれど、まだまだCitationの方が評価されていました。実際、この条件でもCitationが1人気に推されています。

しかし写真判定になるほどの2頭の大接戦は、再びNoorに軍配が上がりました。2:52.8の時計は世界レコード。3月頭のこのレースの時点でCitationはこの年5戦目、Noorも4戦目。それぞれ走ってきた距離は31Fと27.5F。その状態で14Fのレースを走り世界レコードのハナ差になるわけですから、まさに怪物の共演と言えます。

Noorとの激闘から2週間後、2着続きだからかゴールデンゲートフィールズ競馬場へ移動して一般競走(D6F)に怒りの出走をかましたCitationでしたが、ここでも3/4馬身差の2着に敗れてしまいます。陣営の空振り感が出ていますよね。

流石のCitationもここで小休憩。Noorも激闘から身体を休めました。

激闘!世界最速の決戦!~後編~

6月。2ヶ月半の間隔を経て先に始動したのはCitationでした。

同じくカリフォルニア州はゴールデンゲートフィールズ競馬場で行われたゴールデンゲートマイルH(D8F)に出走。世界レコードの1:33.6で快勝。これは連勝が途切れてから6戦ぶりの1着でした。

さて準備運動もできたところで、CitationはNoorとの4戦目を迎えます。

フォーティナイナーズH(D9F)。128ポンド(約58kg)のCitation、123ポンド(約56kg)のNoor。4戦目にしてハンデはかなり縮まりましたが、前走で復活勝利をあげたCitationがそれでも見込まれ、人気でも上回りました。

結果はクビ差、勝ったのはNoor。勝ち時計1:46.8はまたしても世界レコードでした

2週間後のゴールデンゲートH(D10F)が5戦目にして2頭の最終決戦となりました。もう負けられないCitationはついに斤量でNoorにハンデをもらうことになり(1ポンド差)、生涯唯一の2番人気に。

逃げ馬を直線で捉えたNoorに対して、挑戦者となったCitationは必死に追いかけますが、差はむしろ開いていきます。そうして勝者はNoorとなり、2着のCitationは最大着差となる3馬身差をつけられて敗れました。

当然のように世界レコードだった勝ち時計は1:58.2。この時計は1980年にSpectacular Bid(スペクタキュラービッド)が更新するまで30年の月日を要します。それはつまり上述したRound Tableも、その同期である爆速馬Bold Ruler(ボールドルーラー)も、スピード違反の快速馬Dr.Fager(ドクターファーガー)も、怪物三冠馬Secretariatも更新できなかったということ。

2頭の激闘は5戦中4戦でNoorが勝ち、そのいずれもがレコードであり、うち3戦が世界レコードでした。結果としてCitationにNoorが完勝したわけですが、裏を返せば世界レコードで走らなければCitationには勝てなかったということでもあります。

2歳から勝ちまくっていた上に4歳時に丸ごと休むほど怪我していたCitationに、他の馬を圧倒していた頃の能力があったかは怪しいところです。しかしそれでもCitationに完勝することは容易でなく、最強の三冠馬たる彼を打ちのめしたことが米国競馬界におけるNasrullah(ナスルーラ)旋風の一因となったことは間違いないでしょう。

スピードがスタミナを凌駕する時代へ

Citationの父は上述したようにTeddy系のBull Lea。三冠馬Citation以外にもダービー馬を複数輩出したBull Leaは母父としてもTwo Leaとの間に二冠馬Tim Tamを出していて、父としても母父としても北米リーディングを獲得している米国競馬史に輝く大種牡馬です。

残念ながらCitationをはじめとして息子たちがいずれも種牡馬として成功しなかったため父の父としては大成しませんでしたが、最後の英三冠馬Nijinsky(ニジンスキー)の母母父、Roberto(ロベルト)の母母父、Alyder(アリダー)の母母母父&母父母父、Storm Bird(ストームバード)の母父父父、Exceed And Excel(エクシードアンドエクセル)の母母父父父などを通して、現代競馬にも大きな影響を残しています。

ちなみにBull Leaの父はBull Dog(ブルドッグ)という可愛らしい名前をしていますが、こちらも大種牡馬。Bull Leaともども競走馬としてはそこそこですが種牡馬として大活躍した口で、というのも全兄がSir Gallahad(サーギャラハッド)なんですよね。この全兄弟を産んだ偉大な母はその父がSpearmint(スペアミント)という馬で、その父はCarbine(カーバイン)で……と話すのも楽しいのですが、それはいつかの機会に。

一方でNoorの父は、Nasrullahでした。あのMumtaz Mahal(ムムタズマハル)の牝系であり、種牡馬として輸入されることで米国スピードの産みの親の一頭となりました。

Nasrullahからは直系でBold Ruler、Secretariatらが出てきますしSeattle Slew(シアトルスルー)のラインは現代でも大きいわけですから、Noorはカナダから踊り子がやってくる20年ほど前に新時代のスピードをお披露目したわけですね。その輝きは、最強の三冠馬をも貫くほどだったと。

私も愛読しており当ブログにおいても主要な出典の一つとなっている素晴らしい海外名馬紹介サイト「世界の名馬列伝集」の著者ルナさんは、Citationの項でこのように書いていらっしゃいます。

ヌーアは快速ナスルーラ産駒であり、基本的にスタミナ豊富で重厚な血統である本馬との対決は、伝統の長距離血統と新進気鋭の快速血統のせめぎ合いでもあった。

世界の名馬列伝集:サイテーションhttp://lunameiba.blog.enjoy.jp/jp/Citation.html

血統というのは(特に種牡馬では)優劣よりも性質を語るべきもので、未勝利の父や母から大物が出ることもあれば。三冠馬だろうと父としては大レースを1つも勝てなかったりするものです。そしてBull Leaの血が「遅い」と解釈されてしまうのは私としては不本意で、ルナさんもそういった意味で書いたのではないでしょう。なんせCitationの時計も世界レコードなのですから。

そうではなくて、馬も生き物なので車のように高速道路をずっと時速80kmで走れたりするわけでなく、100kmのレースをするとした場合にスタミナ型が時速60kmで70km走れるのに対してスピード型は時速70kmで60km走れるといったような、そういうレースに対してのアプローチの差だと思っています。

確かにスピードの違いであり距離適性の差ではあるんですが、昔の馬が今の馬より遅いとか、そういうことではないんです。そのように考えてしまうのは私は血統を考えるうえで危険だと思うし、歴史を考える上で昔の人を今の人より馬鹿だと考えてしまいがちなことに近い罠だと思っています。

そういった前提の上で、やはりこのCitationとNoorの激闘は米国競馬の血統の歴史という観点からも象徴的な場面の1つであったと、私は思います。

最後に

CitationはNoorとの激闘による疲れからか、5戦目以降は再び休みます。それでも6歳になお復帰して、西海岸の大レース、ハリウッド金杯を勝利して史上初の100万ドルホースに輝き引退しました。

彼が3歳暮れの時点で引退しなかったのは100万ドルホースを目指すためだったと言われます。それだけでも人間の欲に振り回される彼が不憫なのですが、彼が更新した最多獲得賞金記録はそれまでテキサスのアイドルホースStymie(スタイミー)が持っていたものであり、Stymieのオーナーも100万ドルホースを目指しつつ夢叶わなかったと言います。そのStymieと賞金争いをしたライバルがCitationと同じくカルメットファームの馬Armedなのですから、これは良く言えばArmedの敵討ちであり、悪く言えば大牧場のプライドだったのでしょう。

いずれにしてもCitationからすれば知ったこっちゃない話なわけで、過酷なローテといい、後のAlydarの件といい、どうにも私はこのカルメットファームのことが好きにはなれません。

話を変えてNoorのその後ですが、彼は元気に東海岸に打って出るも、そこでは苦戦。しかしその年の年末に再び東海岸に戻ると、今度は東海岸で活躍していた当時の有力馬たちを捻じ伏せてハリウッド金杯を優勝。有終の美を飾って引退しています。

かつてのライバル2頭が年を跨いで同じレースを勝って引退するというのは、イクイノックスとドウデュースみたいで美しいですね。競馬は物語のためにあるわけではないですが、その中で生まれた物語は、できるだけ語り継いでいきたいなと思っています。