1970年代。それは米国競馬の黄金期。
「Decade of Champions」とも言われる10年間では3頭の三冠馬が誕生しました。
米国最強の呼び声高いSecretariat(セクレタリアト)、無敗で三冠を制した”醜いアヒルの子”Seattle Slew(シアトルスルー)。そしてもう一頭は……。
米国クラシック史上最大とも言われる熱戦を繰り広げた、2頭の物語を紹介します。
名門牧場の重戦車 Alydar
ケンタッキー州のカルメットファームといえば米国競馬の歴史で必ず一度は目にする名門牧場。Whirlaway(ワーラウェイ)にCitation(サイテーション)と三冠馬を2頭も輩出しています。
しかし70年代ともなると栄光からは年月が経っていました。そんな古き良き牧場から凄まじい馬体の馬が出てきたと話題になったのが、Alydar(アリダー)でした。
母も母父も母母らもカルメットファームの生産馬。そんな血統にあのミスプロの父であるRaise a Native(レイズアネイティヴ)を配合して生まれたAlydar。その馬体はまさしく筋骨隆々。美しい栗毛からデビュー前にして人気を集め、新たなる名馬の誕生と期待されました。
カルメットファームはこの馬に大きな期待を寄せ、当時懇意にしていた期待の調教師ジョン・ヴィーチに預託。
後に日本競馬を盛り上げるTBSの一角Brian’s Time(ブライアンズタイム)らを手がけることになる彼ですが、当時はまだ開業4年目で30代前半の若手。彼と同じく殿堂入りしている調教師シルヴェスター・ヴィーチの息子として知られていました。
並外れたムキムキの馬体から重戦車の異名をとり、デビュー戦はいきなりステークス競走という強気の選択。それでいて未出走の馬ながら1番人気に支持されたAlydar。彼がどれだけ話題になっていたか分かりますね。
しかし結果は5着。本馬の5馬身前、このユースフルSを先頭で駆け抜けた勝ち馬こそ、因縁のライバル───Affirmed(アファームド)でした。
若き天才と共に Affirmed
Alydarの誕生に先立つこと1ヶ月。フロリダ州はハーバービューファームにて生産されたAffirmed(アファームド)は、その父も父父Raise a Nativeも牧場をひらいた成り上がり、ルイス・ウルフソンが所有した馬です。
Alydarが代々母方を所有されてきた馬なのに対して、Affirmedは父系3代目の所有馬でした。
ウルフソンからAffirmedを預かった名伯楽ラズ・バレラは、キューバ生まれのカリフォルニアの調教師。彼はキューバで生まれ調教師となると、実績を積むと共にキューバからメキシコへ、そしてメキシコからカリフォルニアへと移籍した叩き上げのベテランです。
既にAffirmedが1歳の時にプエルトリコから来たBold Forbes(ボールドフォーブス)で2冠を獲得していたバレラは、2歳になったAffirmedを未勝利戦で快勝させると、続くユースフルSでも迫られつつもクビ差で勝利させデビュー2連勝としました。
このとき5着になったAlydarとの2度目の対決は、すぐにやってきます。
デビュー戦で出鼻をくじかれたAlydarは、9日後に未勝利戦に出走して快勝することで評判がハリボテでないことを証明すると、その勢いのままAffirmedが3戦目に選んだグレートアメリカンSに殴り込んできたのです。
2頭の2度目の対戦ではAlydarに軍配が上がりました。後方脚質のAlydarがコーナーで捲り、直線では追い縋ってきたAffirmedに影を踏ませないまま3馬身半先着したのです。
この時点で2頭は1勝1敗。
出身も血統も馬体も優れていたAlydarに注目が集まるのに対して、Affirmedは多くいる有力馬の一角にすぎませんでした。
2歳王者の座をかけて
Alydarに初めての敗北を味わされたAffirmedですが、次戦で初めての重賞となるGⅡハリウッドジュベナイルCSSを7馬身差圧勝、GⅡサンフォードSも快勝してホープフルSにてGⅠに初挑戦します。
対するAlydarは前走後にGⅢトレモントSで初重賞を難なく制覇すると、続くサプリングSも制覇して一足先にGⅠ馬となりました。
3度目の勝負となったホープフルSでは、Alydarが前回の対決と同様に捲っていきますが、今度はその前走から若き天才スティーブ・コーゼンとコンビを組んでいたAffirmedが譲らずに直線で叩き合い、半馬身差で勝利してGⅠ馬となりました。
コーゼンは16歳でデビューすると翌年には弱冠17歳でリーディングジョッキーとなった天才で、彼は3年目にして出会ったこのAffirmedと共に栄光へと駆け上がっていくことになります。
さて見事お互いにGⅠ馬となった2頭に話を戻すと、ホープフルSから2週間後のベルモントフューチュリティSが4度目の対戦となりました。ここで初めてAffirmedは1番人気になりAlydarを人気で上回ります。
前回かわしきれなかったAlydarがさらに早く位置を上げると、第三コーナーから一騎討ちに。しかしここでも粘り切ったAffirmedがハナ差で勝利してGⅠを2勝目としました。
翌月のシャンペンSでも2頭は相見えました。
この時代、シャンペンSは2歳最大のレース。ここまで2連勝してきたAffirmedが1番人気に支持され、対するAlydarは相棒となる名手ヴェラスケス騎手と初コンビを組んで挑みました。
先行脚質のAffirmedがこれまで同様に抜け出して迎えた直線、これまでと違い捲り上げずに機を見計らっていたAlydarが直線で大外に持ち出すと、一気に抜き去って勝利。連勝を続けていたAffirmedを一泡吹かせました。
2週間後のローレルフューチュリティSは、2歳時の最後の戦いとなりました。
シャンペンSでの衝撃的な勝ち方からAlydarが人気しましたが、例によって捲ってきたAlydarにAffirmedが鬼の粘りを発揮。クビ差凌ぎ切りました。
この勝利をもってAffirmedが最優秀2歳牡馬に選ばれました。2頭の戦いはAffirmedの4勝2敗。戦績でAffirmedが勝ち越しましたが、しかし2歳時にAffirmedを負かすことができたのはAlydarだけでした。
なおAffirmedと違ってAlydarは2歳時にもう一戦、GⅡレムゼンSを使っています。ライバル不在だからか不良馬場だったからか、後方待機で進んだAlydarは前を捉えきれず2着。デビュー戦を除くと、はじめてAffirmed以外に先着を許してしまいました。
熱き三冠の激闘
年を超えて3歳となった2頭は、別々の路線から始動しました。
フロリダ州で越冬したAlydarは同州にあるハイアリアパークの一般競走を勝利すると、同競馬場でのGⅠフラミンゴSも勝利すると、4月にはフロリダダービーも快勝し、本番に向けて北上。
2歳時よりもパワーアップした馬体で順調に調整を進め、前哨戦のブルーグラスSでは13馬身もの差をつける大楽勝で4連勝とし、万全の態勢でAffirmedを待ち構えました。
対するAffirmedはバレラ厩舎のあるカリフォルニア州から始動。重賞を含む2連勝を経てサンタアニタダービーに出走すると、2着に8馬身の差をつける圧勝。その2週間後のハリウッドダービーも危なげなく勝利してから本番の地へと旅立ちました。
東のAlydar、西のAffrimed。
2歳時に激闘を繰り広げた2頭がともに4連勝して迎えたケンタッキーダービーでは、前走で13馬身差圧勝という鮮烈なレースを見せつけていたAlydarが1番人気に支持されました。
大歓声とともにスポーツで最も偉大な2分間が始まると、ここまで6戦6勝の無敗馬Sensitive Prince(センシティヴプリンス)がハナに立ちました。3番人気だった彼を見る形で3番手につけたAffirmedに対し、Alydarは最後方から進めました。
Alydarはいつくるのか。2歳時に何度も叩きあった2頭の激戦が期待されましたが、結局Alydarが上がってきたのは最終直線。Affirmedのダービー制覇を前に1馬身半差で敗れました。
2歳からお互い成長していた2頭でしたが、3歳の初対決も制したのはAffirmedでした。
2週間後の二冠目プリークネスSでは、1番人気に支持されたダービー馬Affirmedがハナを取りました。前走明らかに仕掛けが遅かったことを反省してAlydarが早めに仕掛けると、対するAffirmedもこれに対抗。叩き合った2頭でしたが、わずかにクビ差、Affirmedが先着して2冠馬となりました。
激闘だったにも関わらずAffirmed鞍上のコーゼンは「余裕のクビ差だった」と語っています。先頭に立つとソラを使う癖のあったAffirmedにとって、叩き合いになってからが真骨頂でした。そしてそんな彼の本気の走りを引き出せるのは、同期にはAlydarただ一頭でした。
1978年6月10日。
もう負けられないAlydarと2年連続の三冠馬誕生にリーチをかけたAffirmedによる9度目の対戦が行われました。米国クラシック三冠競走の最終戦、ベルモントパークのダート12F、ベルモントSです。
5頭立てのレースでしたが、もはや誰の目から見てもこのレースはAffirmedが勝つかAlydarが勝つかのレースでした。
先手を取ったAffirmedに対してAlydarは後方から、お互いにいつもと同じ位置で向正面へ。Alydarが差し馬であることは既に分かり切っていたので、Affirmedは小頭数であることを活かしてドのつくスローに落とし込みます。
しかしここでAlydarが仕掛けました。ここまでの二冠でAffirmedを交わしきれていなかったことから、向こう正面にして先頭を走るAffirmedに並びかけたのです。当然ながらAffirmedも抜かされまいとペースを引き上げ、早々と2頭の叩き合いがスタートしました。
伝説となる1マイルの叩き合い。Alydarが迫るたびにAffirmedが前に出ますが、このままでは終われないAlydarがさらに迫ります。そこでAffirmedの鞍上コーゼンはここまでずっと変えずに走ってきたAffirmedの手前を変えました。
これが決め手となったのか、Affirmedがついにハナ差先着。2400mのレースにおける1600mの叩き合いは、1mにも及ばない差で2頭を天と地に引き裂きました。
Affirmedは三冠馬の栄光に輝き、Alydarは三冠全て2着という屈辱を味わいました。この三冠競走における2頭の合計着差は2馬身未満と言われ、お互いの陣営が相手の馬を称えました。
対決の先 それぞれの未来へ
Affirmedに敵わなかったAlydarでしたが、翌月のアーリントンクラシックSでは後方からあっという間にかわして13馬身差で圧勝しました。さらに次走のホイットニーSでも10馬身差で勝利し、決して弱い馬ではないことを改めて証明しました。
それはまるでAffirmed以外は敵ではないと言っているようでもあり、三冠馬となったライバルのためにも、彼に迫った馬として他の馬には負けていられないというようにも思える勝ちっぷりでした。
一方のAffirmedはベルモントSから2ヶ月後となるジムダンディSに三冠馬として出走しました。
Alydar不在ながら本馬の名レースと言われるこのジムダンディSでは、ケンタッキーダービーで3番人気に支持されていたSensitive Princeが先頭に立ちました。斤量優位を活かしたマイペース逃げで逃げ切るかと思われた直線。外から迫ったAffirmedがゴール前ギリギリで差しました。
斤量差など関係なく相手の競馬に付き合った上でねじ伏せる王者の走り。直線で猛然と迫る彼の姿はまるでAlydar。未だAlydar以外に負けたことのないAffirmedが三冠馬としての威厳を示したレースでした。
そして迎えた”真夏のダービー”、トラヴァーズSが2頭の10度目の戦いとなります。
4頭立てのレースも完全に2頭の世界。しかし逃げるAffirmedに内からAlydarが競りかけようとしたとき、Affirmedが内を閉めたためにAlydarが体勢を崩して失速。そのままAffirmedが勝利したのですが審議の末に降着となってAlydarの勝利となりました。
果たして降着になるほどの影響があったのかについては議論があるようですが、2頭のここまでの着差を見れば(狙ったかはともかく)進路を妨害していると判断した時点で降着処分になるのもやむを得ないかなと感じています。
なおこのトラヴァーズSは4冠目とも言われる大レースであり、三冠馬がトラヴァーズSを制したのは現在もなおWhirlawayだけです。あのAmerican Pharoah(アメリカンファラオ)も出走して敗れています。惜しまれる降着でした。
そして残念ながらAlydarはレース後に故障してしまい、3歳時は残りを休むことになります。復帰後も彼の本来の走りを取り戻しきれず、Affirmedとの対戦が行われることはありませんでした。トラヴァーズSでの出来事が影響していたという見方もあります。
Affirmedの方も苦しい展開が待っていました。先輩三冠馬Seattle Slewに挑戦し、2戦連続で完敗してしまったのです。ともに病気と鞍ズレという明確な敗因はありましたが、それがなければ勝てたと言うのは難しいです。
その後、Affirmedは4歳の年明けにもGⅡで2連敗してしまいますが、そこからは騎手を乗り換えたこともあってか引退まで7連勝。1歳下の怪物Spectacular Bid(スペクタキュラービッド)にも競り勝って引退の花道を飾りました。そのレースは前年に彼が1歳上の怪物Seattle Slewに挑んで敗れていたジョッキークラブ金杯でした。
2頭の評価
三冠馬Affirmedと、図らずもその引き立て役となったAlydarでは、通算にしてAffirmedの7勝3敗。うち1敗は降着なので能力には差があったと言えるでしょう。
しかしジョッキークラブ金杯での鞍ズレや明け4歳始動戦での2連敗を除けば、Affirmedに先着できたのはAlydarとSeattle Slewだけでした。歴史的名馬のAffirmedを止められたAlydarもまた紛れもなく名馬でした。
クラシックの走りを見れば、AffirmedさえいなければAlydarは三冠馬になれた可能性が高いでしょう。同時に、AlydarさえいなければAffirmedが2年連続の無敗三冠馬となっていた可能性も高いでしょう。
しかしそうはならず、結果として2頭が他馬を置き去りにして激闘を繰り広げたからこそ、米国競馬史でも有数のクラシックとなったのです。
Affirmedは2歳、3歳、4歳でいずれも最優秀牡馬に選ばれ、さらに3歳時と4歳時で年度代表馬馬に輝きました。
7連勝して歳下の二冠馬も直接対決で制した上にKelso(ケルソ)の記録を抜いて最高獲得賞金記録を更新した4歳時は文句なしとして、3歳時は上述したようにSeattle Slewに2度完敗しています。それなのに選出されたことは当時物議を醸したようです。
しかしそれでも年度代表馬馬に選ばれたのは、やはり三冠には重みがあるということ、そしてAffirmedの三冠にはそれだけの価値があったということなんでしょう。
一般に三冠馬が生まれるときは同世代に対抗となるような強い馬がいないことが多いと言われています。ですがAffirmedにはAlydarがいました。AffirmedはAlydarに勝って三冠を取った馬として評価されたからこそ、Seattle Slewに負けてなお年度代表馬馬に選ばれたのです。
それはつまり「Alydarも年度を代表する馬であった」と、当時の人は思っていたということではないでしょうか。
種牡馬になって
血統と馬体の面から、競走馬としての実績で大きく穴が空いてもなお、種牡馬としての期待はAlydarの方が高かったようです。そしてその期待に応えて、Alydarは種牡馬として成功しました。
Affirmedはたまに失敗したと言われることもあるようですが、別に失敗ではないです。ただ後継産駒には恵まれなかったので父系は繁栄しませんでした。活躍馬が牝馬に偏ったこと、適性が芝に寄ってしまったことが原因でしょうか。
Alydarの代表産駒には、お馴染みSunday Silence(サンデーサイレンス)のライバルであるEasy Goer(イージーゴア)がいます。Easy Goerもクラシックで激戦を繰り広げていますが、彼は父と違ってベルモントSでライバルを破り戴冠しました。
またAlydarの産駒には二冠馬Alysheba(アリシーバ)もおり、自身が取れなかった三冠を父としては全てとっています。Affirmed産駒はクラシック未勝利なので、父としては大きく逆転しました。
Alydarは母父としても優秀で、BCマイルを連覇したLure(ルアー)、豪州の名馬Mahogany(マホガニー)、凱旋門賞を圧勝したPeintre Célèbre(パントレセレブル)などを輩出しています。
母父としてはAffirmedも優秀で、メイショウドトウとナリタトップロードを出しました。Alydarというライバルを何度も跳ね返した彼が、強力なライバルに何度も跳ね返される2頭に関わっているというのは不思議な縁です。
現代の身近な競馬における2頭の影響で言えば、例えばディープボンドは母母父がCacoethes(カコイーシーズ)で、その父がAlydar。それから輸入種牡馬Drefong(ドレフォン)は父がGio Ponti(ジオポンティ)で、その母父がAlydarです。
それからAffirmedは何と言っても母父として出したHarlan’s Holiday(ハーランズホリデー)を通して、その産駒Into Mischief(イントゥミスチーフ)の血統表に名前を連ねています。Into Mischiefは既に北米で大種牡馬として君臨しており、父系としては分かりませんがAffirmedの名前が消えてしまうことはないでしょう。
終わりに
この2頭の10回にわたる激闘は全て映像として残っており、もちろん叩き合いも白熱して良いのですが、私は2歳時にAlydarが勝利したシャンペンSも好きです。
Affirmedのような勝負根性に優れた馬を倒すには、その馬と馬体を併せないことが理想とされます。何度も叩き合っては宿敵の粘りに屈したAlydarですが、後の三冠馬を瞬く間に抜き去った彼の格好良い勝ち姿も知られてほしいなと思います。
ちなみにですが、Affirmedは種牡馬生活の途中で、Alydarがいるカルメットファームに移動しています。Alydarが悲しい最期を迎えるまでの数年間、互いに栗毛の2頭が牧場を並んで走る姿も見られたそうです。
往年の激闘を覚えていたのかいなかったのか。それは彼らにしか分かりません。
コメント