血統について、縦と横に暗記したいのですが覚えきれないので、自分のメモとして使うためにも整理した記事を書きたいなという気持ちで書き始めています。
レベルとしては「昔の馬に興味はあるけど調べたことはないよ」という人向けですね。
血統史のなかでいつの時代にどんな馬がいたのか、そして現代にどう繋がっているのか。
各馬の詳しい記載はwikiをはじめとして別サイトをご参照ください。
※以下ルール※
①基本は年代順に書きます。
②2巻目以降はnetkeibaの血統表を引用しつつ書きます。
③紹介する馬は独断と偏見と好みで選んでいます。
④私のメモ代わりに書いているので随時更新予定です。
⑤2巻以降はクラシックの世代で表記します。
なお、馬券の参考には全くなりません。
おまけ 現代の主要血統について
現代競馬で見られる馬の大半は、その父系を数代遡ると以下の4頭に辿り着くと思います。
・Nearctic(ニアークティック)
・Nasrullah(ナスルーラ)
・Royal Charger(ロイヤルチャージャー)
・Mr.Prospector(ミスタープロスペクター)
例えばDanzig(ダンジグ)やStorm Cat(ストームキャット)はNorthern Dancer(ノーザンダンサー)系であり、Northern Dancerの父がNearcticになります。
米国の怪物Flightline(フライトライン)はSeattle Slew(シアトルスルー)らを経由してNasrullahに行き着きます。
日本で圧倒的なSunday Silence(サンデーサイレンス)は父父父父がRoyal Chargerです。
ドゥラメンテはMr.Prospectorの曾孫にあたります。
このように、ほとんどの馬で血統表の一番上にある父馬のところを遡ると上の4頭のどれかが登場します。
そしてこの4頭のうち上の3頭はNearco(ネアルコ)の産駒であり、ミスプロも数代遡ったPhalaris(ファラリス)で父系としては合流します。
Phalarisは1913年生まれなので、19世紀以前の父系はPhalarisに繋がる1本を除いてほぼ全てが現在では断絶もしくは衰退の運命にあるということですね。
序章 基礎的な血統史の知識
競馬の始まりについて検索すると三大始祖という言葉が出てくると思います。ウマ娘で三女神として登場することもあって血統に興味のない人でも知っているかもしれません。
現存している馬の父系をたどると必ず三大始祖のどれかにいきつくのは本当のことなので、試しにnetkeibaさんなどで血統表をたどってみてください。
こうして辿っていけるのは血統を記録するように努めているからで、この活動は現在サラブレッドとされる種の生産が始まってから100年近く経ったときに始まりました。
それが1791年にジェームズ・ウェザビーによって刊行されたジェネラルスタッドブックです。
ジェネラルスタッドブックには英国在来牝馬に東方(トルコやシリアなど)から買った牡馬を交配させてきた記録が記されており、それによると始祖となる種牡馬は102頭いたそうです。
結果的にその三頭の種牡馬の父系が栄えたために三大始祖と言われているだけで、血統表をたどると母方には三大始祖以外の種牡馬も登場するんですよね。
三大始祖はByerly Turk(バイアリーターク)、Darley Arabian(ダーレーアラビアン)、Godolphin Arabian(ゴドルフィンアラビアン)の三頭。
このうち現代競馬に繋がるPhalarisはDarley Arabian系に属するので、現在では三大始祖といってもDarley Arabianの一強状態です。Byerly Turk系は絶滅寸前、Godolphin Arabian系も時間の問題かもしれません。
しかしそれは現代の話で、これら3頭の種牡馬から有名な種牡馬Herod(ヘロド)、Eclipse(エクリプス)、Matchem(マッチェム)などがそれぞれ生まれ、大きな影響力をもたらしてきたことは今後も変わりません。
それでは、始祖たちから300年を超える長い旅を始めましょう。
第一章 サラブレッドの始まり
上述しているように3頭の種牡馬を用意して一斉に競走馬の生産を始めたわけではなく、東方から購入(or奪取)してきた100頭近くの種牡馬たちから3頭の父系が生き残ったということなので、三大始祖と言っても時代は20年ずつくらい違っています。
ちなみに始祖たちの名前は例えばByerly Turkならバイアリー大佐のターク馬(トルコ馬)だからバイアリータークと呼んでいるだけ。牝馬はさらに「◯◯メア」(◯◯の娘)とか「シスタートゥー〇〇」(◯◯の妹)みたいに書かれているので注意してください。
当時は馬についてはそんな感じなんですよ。レースもプレート競走とかマッチレースとかヒート競走とか、今とはかなり違っています。この時代はまだダービーもありません。中2日とかは普通にあるし、1日に2つレース出たなんて名馬もいます。あとは引退後の扱いも……。
1670輸入 D’Arcy’s Yellow Turk
1670年にやってきたD’Arcy’s Yellow Turk(ダーシーズイエローターク)は三大始祖よりも先輩の始祖です。
シリアのダマスカスから来たらしいですが経緯は不明。ダーシーさんが所有していた馬で、Yellow Turkと記されていたようですね。月毛だったという説もあるようですが既に断絶しているので調べようもありません。
(※現在ある月毛は始祖由来のものではありません)
父系はほとんど伸びていませんが、産駒にSpanker(スパンカー)とBrimmer(ブリマー)を出しています。
SpankerはCareless(ケアレス)と2代目英国ダービー馬Young Spanker(ヤングスパンカー)を出していて、CarelessはFlying Childers(フライングチルダース)とBartlet’s Childers(バートレットチルダース)の母父になっています。
ちなみにSpanker自身もHerodの父父父Jigg(ジグ)の母父です。
またBrimmerはMatchemの母母母父になっています。Matchemは母母父もD’Arcy’ss Yellow Turkの系統という説があり、影響力は少なくありませんね。母父もJiggのルートですし。
それからこのあと紹介するBay Bolton(ベイボルトン)にも母母父にBrimmerの名前があります。このBay Boltonは母父もD’Arcy’s Yellow Turkの系統。
当時は各貴族が自分たちの所有地でのそう多くない種牡馬と繁殖牝馬による馬産が基本なので、濃いめのインブリードでも当然のように出てきます。
というかインブリードの利害なんていうのは、現場の人は経験則として身につけていたかもしれませんが科学的に知られるのはもっと後のことでしょうしね。
余談ですがメンデルの法則は1865年の発表だそう。競馬で言えばGladiateur(グラディアトゥール)の世代です。
1675輸入 D’Arcy’s White Turk
シリアのアレッポからやってきたのはD’Arcy’s White Turk(ダーシーズホワイトターク)。
芦毛だったそうですが現代には繋がっていません。
種牡馬としてHautboy(オーボーイ)を出しているので今回紹介することにしました。
このHoutboyからGrey Hautboy(グレイオーボーイ)を通じて生まれたのがBay Boltonでした。
Bay Boltonは競走馬としても当代一の馬だったと言われ、また引退後に父としても活躍したようです。Eclipseの父Marske(マースク)の母母父になったことで現代の全ての競争馬の血統表に名前を残しています。
HoutboyからはClumsey(クラムジー)を経由してFox(フォックス)も出ています。FoxもBay Bolton同様に競走馬としても種牡馬としても優秀な馬でした。Herodの父Tartarの母父になっているほかSnap(スナップ)の母父にもなっています。Snapは母母父もBay BoltonですのでD’Arcy’s White Turkの影響は少なくないですね。
Hautboyは母父としてもSnake(スネーク)という馬を出しています。このSnakeも後世に大きな影響を残しています。加えてEclipseの父父Squirt(スクワート)の母母父になっています。
1687輸入 Lister Turk
1687年にやってきた芦毛の種牡馬がLister Turk(リスターターク)です。
大トルコ戦争において遠征軍がハンガリーのブダを獲得した際に捕まえた戦利品のようです。余談ですがブダは今のブダペスト。川を挟んだブダとペストを一つにしてブダペストになっています。
Lister TurkはSnakeという馬を出しました。
SnakeはRegulus(レギュラス)の母母父になっています。そのほかSquirtの母父にもなっており、Snake産駒Easby Snake(イーズビースネーク)がEclipseの母母父になってもいます。したがってEclipseはSnakeの4×4・5のクロスを持っているということになりますね。
1689輸入 Byerly Turk
1689年に輸入されてきたのがByerly Turk(バイアリーターク)。三大始祖では最も年長です。
もとはオスマン帝国の軍馬だったところを英国のバイアリー大佐が戦場で奪ってきたのだと言います。その後もバイアリー大佐の軍馬として活躍したそうです。包囲を突破したという名馬らしいエピソードもあるとか。
バイアリー大佐の退役とともに種牡馬入りしたとされるByerly Turkですが、産駒はそれほど多くなかったと言います。しかしその中に生まれたJiggが後継として繋ぎ、そこからPartner(パートナー)が誕生しました。(※PartnerはCroft’s Partnerという名前で書かれているときもあります)
Partnerは馬体も競走能力も優秀だったそうです。
繁殖でも証明していて、父としてTartar(ターター)を出し、そこから世紀の大種牡馬Herodが誕生。そのほかMatchemとSpectator(スペクテイター)の母父にもなっています。
Byerly TurkからはBasto(バスト)という馬も出ています。
BastoはByerly Turk産駒では最も優秀な馬だったそうです。Bastoは娘のSister to Soreheels(シスタートゥーソアヒールズ)を介することでCrab(クラブ)とSnip(スニップ)の母父になっていて、これも大きな影響を及ぼしています。
そうそう、Byerly Turkは昔のゲームで追い込み馬だったらしいのですが、それはおそらくこの馬が記録上一度だけレースをしたときに後方からあっという間に差したと書かれているからだと思います。ちなみに三大始祖でレースの記録が残っているのは本馬だけです。
1704輸入 Darley Arabian
1704年に持ち込まれたアラブ馬がDarley Arabian(ダーレーアラビアン)。シリアのアレッポにいた本馬に惚れ込んで、合法か違法かは分かりませんが最終的には奪ってきたというのが定説のようです。
名前は例に漏れずダーレーさんのアラブ馬だからダーレーアラビアン。まぁそんなわけで色々と他の呼び名があったり表記にも種類があるみたいです。この時代はそんな感じです。
そんなDarley Arabianの代表産駒はFlying Childers。……なんですが、父系を現代主流血統まで繋いだのは全弟のBartlet’s Childers。
Bartlet’s Childersは鼻血が出やすくて競走馬としてデビューできなかったらしいのですが、全兄の人気もあって種牡馬として活躍します。そしてBartlet’s ChildersからSquirtとMarskeを経由してEclipseへと繋がっていきます。
1707輸入 St.Victor’s Barb
St.victor’s Barb(セントヴィクターズバルブ)は他の馬に増してわからないことが多いです。
子孫が米国に輸出されたこともあって三大始祖以外の父系では最も長く残ったといいます。19世紀半ばまで記録があるようです。(※勘違いの可能性あり)
それはさておき、種牡馬としてBald Galloway(ボールドギャロウェイ)を出したことで大きな足跡を残しました。
このBald GallowayはRegulusの母父になったほか、Lath(ラス)とCade(ケード)の母父にもなりました。Regulusを通じてEclipseに、Cadeを通じてMatchemに、それぞれ血統表に名前を刻んでいます。
1709輸入 Alcock Arabian
Alcock Arabian(オルコックアラビアン)は、芦毛の祖として有名です。
ただし「すべての芦毛の祖」というのは断定できなくて、この馬から芦毛を引いている確率は計算上75%になるとか言われています。まぁそもそもこの馬自体がCurwen Bay Barb(カーウェンベイバルブ)の産駒だという説も有力なぐらいですし、この時代については深く考えても仕方ない気がしますね。
種牡馬としてCrabを出したことで血が繋がっています。
上述したようにSnipの半兄です。
Crabは競走馬としても種牡馬としても優秀だったと言い、父としてSpectatorやOthello(オセロ)を輩出しています。SpectetorはDiomed(ダイオメド)の母父に、OthelloはKing Fergus(キングファーガス)の母父になっています。
Crabの種牡馬としての活躍のおかげで、芦毛は競馬界での命脈を保っていくことになります。
1715誕生 Frying Childers
1715年に生まれたDarley Arabian産駒がFrying Childers(フライングチルダース)。
その時点で古今東西のすべての馬より速かったとか「the first truly great racehorse in the history of the Thoroughbred(サラブレッドの歴史において最初の本当に偉大な競走馬)」とか言われているようですね。無敗で勝ち続けて、最終的には相手がいないから引退したとか。
余談ですがFlying Childersはチルダースさんが所有していた馬で当初は単にChildersと呼ばれていたらしく、後に競馬デビューしてから速さゆえに「飛ぶように走る」の意味でFlyingが付くようになったらしいです。
Frying Childersは種牡馬として、上述したByerly Turk代表産駒Bastoの娘からSnipを出しています。Snipは競走馬としては微妙だったそうですが父としてSnapを出しました。
SnapはEclipseの父Marskeを破った名馬で、その産駒Goldfinder(ゴールドファインダー)はEclipseと同世代の無敗の名馬。またSnapは大種牡馬Sir Peter Teazle(サーピーターティーズル)の母父にもなっています。
Flying Childersの産駒にはもう一頭Blaze(ブレイズ)という馬もいます。この馬はHerodの母父にもなっている大成功した種牡馬です。
父系としては残っていなくても、全ての馬の血統表にFlying Childersは残っているわけですね。
1729輸入 Godolphin Arabian
1729年に輸入されたのがGodolphin Arabian(ゴドルフィンアラビアン)。諸説ある物語は、後年に小説にもなっています。
文字通りゴドルフィンさんのアラブ馬だからゴドルフィンアラビアン。場合によってはGodolphin Barb(ゴドルフィンバルブ)と書かれていることもありますが、これはバルブ種だったからではなく元々チュニジアのバーバリー海岸にいたからだそうです。
Godolphin Arabianは三大始祖だと最も競馬史への参入が遅く、また父系としても他2ラインに比べると影の薄いところもありますが(※個人の感想です)、逆に血統への貢献度は三大始祖で最も大きいと言われています。
それもそのはずで、まず最初の産駒LathがFrying Childers以来とも言われる強さを見せたことで全弟Cadeが種牡馬としてブレイク。そのCadeからMatchemが生まれます。
それからRegulusも本馬の産駒です。Regulusは母父としてEclipseを、母母父としてHighflyer(ハイフライヤー)を出しています。
Highflyerに関しては母父も本馬の産駒Blank(ブランク)なので、Highflyerの母はGodolphin Arabianの2×3という濃厚インブリードだったんですね。
ちなみにこのBlankは初代英国ダービー馬Diomedの母母父にもなっています。
そのほかにも活躍馬を多数輩出しており、最も影響力の強い始祖だと言えるでしょう。
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